Emma Batha Diana Baptista
[メキシコシティ/ヨハネスブルク 8日 トムソン・ロイター財団] - 南アフリカ出身、それまでラテンダンスと社交ダンスに情熱を注いできた、明るい性格のサイン・ホープさん(35)。だが、サンバとルンバに情熱を注いだ日々は2年前に終わりを告げた。当時のボーイフレンドからの酷い暴力により、車椅子生活を送ることになってしまったのだ。
かつては建設業界でコンサルタントとして働き、一家の稼ぎ頭だったホープさんだが、その後は仕事にも就けずにいる。
ホープさんはトムソン・ロイター財団の取材に対し、「あの男のせいで死にかけた。身体的にも精神的にも、そして経済的にも、私の人生はめちゃくちゃになった」と訴えた。
ヨハネスブルクの南東約310キロに位置するレディスミスで暮らすホープさんは、かつては弟の学費も負担していた。だが、その弟も工学部を退学せざるをえなくなり、今は失業中だ。
ホープさんのエピソードからは、家庭内暴力(DV)が女性やその家族の生計に与える破壊的な影響が窺われる。
だが、苦しむのは個人だけではない。複数の専門家は、DV対策を取ることにより各国政府は年間数十億ドルも節約することができると指摘し、DVによる財政的負担を明らかにすることで各国の行動を促したいとしている。
研究によれば、女性に対するあらゆる暴力が世界的にもたらす経済損失は、国内総生産(GDP)の約2%にも達する可能性があるという。合計で約2兆ドル(約311兆円)、カナダの経済規模に匹敵する額だ。
家庭内での虐待は医療や警察、司法サービスに負担をかけ、職場での常習的欠勤につながり、生産性を低下させ、家計にダメージを与え、貧困解消の妨げとなっている。
オーストラリアからレソトに至るまで、DVによる経済損失額を算出しようという研究は多数行われている。
経済損失研究の先駆者であるナタ・デュブリー氏は、「高度先進国でも低所得国でも、損失額には驚かされる。それを見れば、政府や当局者も腰を上げる。どの研究でも同じ結果が出ている。DVは非常に高くつく」と指摘した。
<次世代にも負担>
DVの経済的影響を研究する場合、富裕国では公共リソースへの負担に注目が集まるが、公共サービスが貧弱な低所得国では、むしろ個人や世帯が被るコストが柱となる。
たとえばベトナムに関するある研究では、DVから逃れた生存者は、その影響に対処するために所得のほぼ4分の1に相当する金額を費やしていることが分かった。
ゴールウェイ大学(アイルランド)のグローバル女性研究センターで所長を務めるデュブリー氏は、この分野での研究が「爆発的に増加している」と述べている。
研究手法が異なるために比較は困難だが、大半の研究ではDVによる損失額ををGDPの1─2%と試算している。低所得国の多くが初等教育に投じている費用にほぼ等しい。
だが、DVは実態よりも少なく報告されている場合が多く、こうした試算でさえ控えめかもしれない。
多くの女性は何十年も虐待に苦しみつつ、恥をかいたり非難されたりすることを恐れて、口を閉ざしたままでいる。配偶者による暴力はお咎めなしという地域さえある。
有害な影響は次世代にも波及することが多く、子どもの教育の妨げとなり、将来の機会が制限されてしまう。
<ホープさんの場合>
ホープさんは、車椅子生活を送る原因となった事件の前から、すでに粗暴な交際相手による経済的な損失を被っていた。クライアントとのミーティングに向かう前に交際相手が喧嘩をしかけてくるせいで、いくつも契約を失っていたのである。
トムソン・ロイター財団の試算では、ホープさんとその弟が被ったDV損害額は、これまでに約166万ランド(約1400万円)に達している。
ホープさんは現在ほぼ寝たきりでフルタイムの介護を必要としており、健康保険料、治療、介護士への支払いが月1万800ランドに達していると話す。訴訟費用も払っており、外出できるように電動車椅子も購入したいという。
ホープさんの逸失生涯所得は、インフレや昇給を度外視しても、約1000万ランドに達する可能性がある。弟が無事に大学を卒業していれば、年約24万ランドの収入を得られた可能性もある。
デュブリー氏は、各国政府にはDV問題を無視する余裕はない、と言う。特に低所得国においては、DV対策を打たなければ、貧困解消に向けた投資の足を引っ張ってしまうからだ。
「単にGDP2%(の損失が生じている)というよりも、現実的に政府を動かせる」とデュブリー氏。
専門家らによれば、富裕国においても、早めに的確な介入を行うことがコスト削減につながる可能性があるという。
<研究成果が政府を動かす>
国連女性機関でアジアにおけるジェンダー関連暴力の根絶を担当する専門家メリッサ・アルバラド氏は、DVによる損失額を金額として突きつければ、人権問題という主張だけでは動かない政府を説得することにつながると指摘する。
アルバラド氏は、「多くの場合、新たなエビデンスを集めて実情を示し、『女性への暴力が、私たち全員にどれほどのコストを生んでいるかを見てみよう』ということが必要になる」と語る。
アルバラド氏によれば、そうした研究は特にベトナムやカンボジア、東チモール、オーストラリアで政策に影響を与えているという。
ベトナムでは、2012年の研究が契機となり、DV被害者の医療に対する投資が拡大し、DVの幅広い影響に関する認識が改善された。
オーストラリア、ニュージーランド、アイルランドなど、DV被害者のための休暇制度を導入した国もある。
コロンビアではDV被害を受けた女性を雇用する企業に対する補助金を提供している。またブラジルの企業は、DV被害者が休職する場合、6カ月間は雇用を維持しなければならない。
DVは常習的欠勤の増加につながるだけでなく、被害者だけでなく加害者にも影響が出る。時間管理や集中力にも影響を及ぼし、生産性を低下させる。
パプアニューギニアでの調査によれば、DVを理由として欠勤した日数はスタッフ1人あたり年間11日に及び、ある企業では1社だけで推定年間2万6200日相当が失われていることが分かった。
大企業の中には、DV問題に対処するため何かできることはないか模索を始めるところも現れている。国連女性機関が英国の最大手企業22社を対象に最近行った調査では、多くの企業がフレックス勤務や特別休暇、金銭的支援を含めた支援を提供していることが分かった。
<キャロライナ・ラミレスさんの場合>
だが、圧倒的多数の女性にとっては、勤務先や政府からの支援はほぼ無きに等しい。メキシコのDV対策活動家ラミレスさん(61)が嫌というほど思い知らされたことだ。
10年前、入院先のメキシコシティの病院から退院したラミレスさんは、前夫に拉致され虐待を受けた。前夫はラミレスさんを4日間監禁し、ナイフとハンマーで傷つけ、銀行口座の残金をすべて引き出してしまった。
「ゼロからやり直さなければならなかった」とラミレスさんは言う。複数の傷を負ったことで手術が必要となり、治療を続けるために、メキシコ東部の自宅から230キロも離れた病院の近くに不動産を借りなければならなかった。
かつて人権コンサルタントとして働いていたラミレスさんは、「最初の2─3カ月は支援があったが、その後は寄付も支援も途絶えてしまった」と語る。
写真家の息子と教師である娘は、ラミレスさんの介護のため、仕事を辞めてメキシコシティに引っ越すことになった。
トムソン・ロイター財団の試算では、ラミレスさんに対するDVは、本人と子どもたちに392万ペソ(約3600万円)以上の金銭的被害を与えている。
今も車椅子を必要としているラミレスさんは、3年間働くことができなかった。最終的にパートタイムで仕事を再開したが、健康状態の悪化のため、2020年に退職を余儀なくされた。
現在、娘と同居しているラミレスさんは、政府にDV被害者の支援を求める運動を行う団体を立ち上げた。
トムソン・ロイター財団の試算では、ラミレスさんの逸失生涯所得は約450万ペソに達する。
ラミレスさんはまた新たな手術を受けなければならないが、蓄えは尽きており、手術費用を賄うために最後に残った資産である、子どもたちに譲るつもりだった小さな家を手放すことになった。
前夫は8年間服役し、2018年に刑務所内で死亡した。もし存命であれば、前夫から身を隠すためにもっと出費がかさんだはずだとラミレスさんは考えている。
「DVは身の回りすべてに影響を与える」とラミレスさん。「本人も、家族も、周囲の誰もがダメージを受けてしまう」
(翻訳:エァクレーレン)