バットで殴られたような痛みで意識を失った…百武桃香さん脳出血を振り返る

百武桃香さん(提供写真)

【独白 愉快な“病人”たち】

百武桃香さん(タレント/26歳)
=脳出血

◇ ◇ ◇

「脳出血」で倒れたのは高校2年から3年生にかけての春休みでした。地元の福岡から都心の大学に進んだ姉がひとり暮らししている1DKの部屋に友人と2人で2~3泊させてもらって、大学の見学や東京ディズニーシーを楽しんだ翌日でした。

朝、目覚めてトイレを済ませ、二度寝しようと思っていたら頭痛が始まり、どんどん痛みが増していきました。小学生の頃から頭痛持ちだったので市販の頭痛薬を持ち歩いていましたが、それまでとは比べものにならない痛みがして、姉や友人に助けを求めていると、次の瞬間、バットで殴られたような痛みで意識を失いました。

姉の話によると、痙攣して瞳孔が開いていたそうです。姉はまず実家に電話をかけ、母の指示で救急車が呼ばれました。電話口の母は救急隊の人から「硬直して20分以上たっているので危険な状態。すぐ来てください」と告げられたそうです。

緊急で13時間に及ぶ開頭手術が行われ、私は3日間意識不明でした。意識が戻っても、しばらくは何も覚えていません。

自覚を持ち始めたのはたぶん3週間後ぐらい。脳出血で左半身麻痺になったと聞いたのは1カ月後ぐらいでしょうか。でも「脳出血って何?」「半身麻痺って何だっけ?」という状態でした。唯一「リハビリ」の意味を思い出すことができて、「頑張りましょうね」という周囲の声から、「2~3カ月リハビリすれば治るのかな」と思いました。

福岡から飛んできてくれた母が毎日病室で寝泊まりしてくれて、お見舞いも多く、入院中に寂しいと感じたことはありません。でも、いつになったら学校に戻れるか、そもそも歩けるようになるのか? と不安になっていきました。

緊急手術後に「脳動静脈奇形破裂による脳出血」と診断されました。小さい頃からの頭痛と関係があったかもしれません。ただ、当時はMRIなどの検査をしても、何の異常も発見されませんでした。中学、高校でも頭痛は市販の頭痛薬で治るので、特に気にしていなかったのです。

救急搬送され、緊急手術で一命をとりとめましたが、そこから紆余曲折がありました。外した頭蓋骨は、脳の腫れが引くまでそのままで、戻す手術は約1カ月後でした。

術前の検査で脳動静脈奇形の残存が見つかったので奇形摘出術と頭蓋形成術になりました。しかも摘出中に出血を起こしてしまい、輸血する大手術でした。

■頭蓋骨が細菌に侵され人工の頭蓋骨で蓋をする再手術を受けた

その後、ほかの病院で2~3週間様子をみて、やっと地元九州の病院に転院となりました。ところが、患部に細菌が入ったようで傷口が膿んでしまったため、戻した頭蓋骨を再び外し、洗浄が行われました。細菌のついた頭蓋骨はもう使えないので、腫れが引くのを待って人工の頭蓋骨で蓋をする手術をしたのです。結果として、入院は1年間に及びました。

言語障害はありませんでしたが、脳の運動神経に関係する部分の損傷が大きくて、「歩けるようになる可能性は低く、良くて車イス」と言われていました。でも、今はゆっくりなら杖なしでも歩けるくらいまで回復していますけどね。

高校は通信制に編入して卒業し、大分にある大学に入学しました。でも、熊本地震の影響で休学の末に、結局、自主退学。その後はリハビリに専念しました。

脳出血という病気で保険が使えるうちにいろいろなリハビリを試したいと思い、先生の紹介や知り合いの情報を聞いてあちこち行きました。

その流れで出合ったのが「九州再生医療センター」でした。脂肪から採取した幹細胞を併設している培養部で培養して点滴で投与、リハビリまで連携している施設です。2021年、全額サポートプログラムに応募して、選ばれたことでお世話になり、今もそのサポートを受けています。死んでしまった脳細胞は復活しませんが、再生医療で新しい経路ができる可能性があるので、リハビリと併せて進められています。これまで4回、細胞を点滴投与しました。私の場合は麻痺が劇的に変わったとはいえませんが、体が動かしやすくなったことは驚きました。

倒れてすぐの頃のリハビリはつらかった。動かないとわかっていることを毎日やり続けるんですから……。やらないともっと治らないこともわかるからイライラもするし、「どうしよう」「いつ治るんだろう」という不安や葛藤もありました。

しかし、再生医療に出合った頃は、大学も行かなくなって家にいても何もできることがないので、通学するかのように週5日、クリニックに入り浸っていました。今でも月に8~9回通っています。

今、気を付けているのは「健康」。食べることと運動です。半身麻痺だとどうしてもバランスが悪く、体に偏りが出るので、健側(麻痺のない側)もトレーニングするようにしています。

左手は脳の損傷箇所からみても治らないみたいですけど、一度人生を“落とした”と思っているので、これ以上はないなと開き直った感じです。あのとき死ななかったのはラッキー。だから、やりたいことや面白そうだと思ったことにはチャレンジしています。

いつどうなるか分からない人生。「失敗を恐れないこと」と「感謝の気持ちを伝えること」を心がけるようになりました。

(聞き手=松永詠美子)

▽百武桃香(ひゃくたけ・ももこ) 1997年、福岡県出身。17歳のときに脳出血で倒れ、左半身麻痺となり、リハビリを続けている。現在はユーチューブチャンネル「MOMOちゃんねる」のほか、テレビやラジオに出演したり、学校やイベントなどで自分の体験から得たもの、感じたものを発信する活動をしている。著書に「Keep your smile 半身麻痺になってしまった女の子が綴る、ハッピーでいるための15のコツ」(文芸社)がある。

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