「ノー・モア・ヒバクシャ」故山口仙二さん 国連演説の直筆原稿 長崎で発見

長崎原爆被災者協議会内で新たに見つかった故山口仙二氏の直筆の演説原稿。「SSDⅠⅠ原稿」と記された茶封筒に入っていた

 長崎原爆で被爆し、日本の反核・平和運動をけん引した故山口仙二氏(2013年死去)が1982年、米ニューヨークの国連本部で開かれた「第2回国連軍縮特別総会(SSDⅠⅠ)」で「ノー・モア・ヒバクシャ」と被爆者として初めて核兵器廃絶を訴えた演説の直筆原稿が、長崎市岡町の長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)で見つかったことが31日、分かった。これまで東京のNPO法人が保管する原稿(コピー)が最終稿と考えられていたが、見つかった原稿はそれより後に山口氏の筆跡で書かれており、内容も踏まえると国連議場で読み上げられた実物の可能性が高いとみられる。

 長崎総合科学大長崎平和文化研究所の木永勝也客員研究員(66)らの研究グループが昨秋、被災協会長を務めた山口氏の資料を調べる中で、地下倉庫内の段ボール箱から発見。本紙が複数の関係者や関連資料を取材し、詳細が判明した。

 原稿用紙はB5判程度の横型で計17枚。山口氏が経営していた建築士事務所の封筒に入っていた。封筒の表に「SSDⅠⅠ原稿 1982.6」と記され、山口氏が演説した同特別総会の略称や開催年月と合致する。

 筆跡について、山口氏の親族や長年親交があった被爆者の計4人が本紙の取材に、いずれも山口氏本人の筆跡だと証言した。

 演説で山口氏は自身の被爆体験や、戦後も後障害や生活苦にあえぐ被爆者たちの窮状を明かし、国連に「核兵器を禁止する国際協定」の採択などを訴えた。

 既に草稿から第4稿まで(いずれもコピー)は存在が確認され、原爆関連の資料収集などに取り組む東京のNPO法人「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」が保管。このうち演説2日前の「6/22」と日付が記された第4稿が最終稿とされ、長崎では1点も見つかっていなかった。

 しかし、今回確認された直筆原稿には第4稿で挿入・削除された修正点が反映されており、第4稿の後に書かれたとみられる。本紙が実際の演説音声や映像(約15ページ分)を入手して調べたところ、山口氏が議場に持ち込んだ原稿の形や読み上げた文言、ページをめくるタイミングが、第4稿ではなく、長崎にあった直筆原稿とほぼ一致した。

 直筆原稿は全文が青緑色のインクで書かれている。山口氏が被爆直後に見た凄惨(せいさん)な光景を証言する部分には「ゆっくり」という注釈がある他、演説でケロイドを負った自身の写真を掲げるタイミングには「V」を三つ連ねたような記号が記され、読む上での工夫がうかがえる。字句の修正や挿入など、演説の直前まで推敲(すいこう)を重ねた跡が残る。

 木永氏らは本紙の取材結果を受け「議場で読み上げられた原稿か断定はできないが限りなく最終稿に近いのでは。長崎の被爆者や被災協に結集した人たちの訴えや活動を知ることができる貴重な資料だ」としている。

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