100人育てた「お母さん」 長崎商業高野球部の寮母・吉原さん 食事に応援…球児と共に22年 

夕食を取る寮生と会話を弾ませるツル代さん=長崎市三川町、長崎商業高野球部寮飛翔館

 日が沈み、辺りが暗くなった午後8時すぎ、「ただいま!」の声が響く。こんがり焼けた肌の高校球児たちが帰宅早々、食堂に集まってくる。大きなおわんに白米を盛る姿を見てほほ笑むのは吉原ツル代さん(79)。長崎市立長崎商業高野球部寮「飛翔館」(同市三川町)の寮母だ。親元を離れて暮らす寮生の“お母さん”として、今まで100人ほどの“子どもたち”の成長を見守ってきた。
 ツル代さんが寮母になったのは22年前。前任者から勧められ、「取りあえずやってみよう」と始めたのがきっかけだった。夫の俊彦さん(79)は寮長を務めている。
 毎朝5時半、朝食作りからツル代さんの一日が始まる。昼食用の弁当も作り、一息つく間もなく夕食の準備に取りかかる。「ご飯は毎日最低でも5升炊くとよ。考えられんやろ?」と笑うツル代さん。「最高!デリシャス」「いつも通りうまいよ」。寮生たちの明るい声が包み込む。
 県外出身のほか、市外出身で離島からの入寮も多い。けがをすれば病院へ連れて行き、体調を崩せば看病をする。試合や遠征には必ず同行し、声援を送る。試合でうまくいかなかったり、ベンチ入りできなかったりして、悔し涙を流す姿を数多く見てきた。「皆がレギュラーメンバーになれるわけではない。これが一番つらい」。途中でくじけないよう、レギュラーになることが全てではなく、卒業まで続けることの大切さを教えている。
 「おばちゃん(ツル代さん)はお母さんのよう。感謝している」。3年の香田寿篤(かずま)さん(17)=諫早市出身=は家族のような存在という。野球でつらいことがあり、実家に帰りたいと思った日もあったが、明るいツル代さんに励まされた。
 そんな“親子”の関係は3年間で終わりではない。ツル代さんは卒業後の進路をほぼ把握している。県外に出た元寮生が、実家に帰るよりも先に立ち寄ることもあり「就職したり、進学したり、結婚して子どもができたり、成長した姿を見せに来てくれるのがうれしい」。
 飛翔館は2年後に閉寮することが決まっている。吉原さん夫婦の高齢が理由という。最後の寮生となる1年生4人は、ツル代さんを甲子園に連れて行き“親孝行”をすることが目標だ。
 取材中、記者が「母の日」に合わせた記事だと伝えると、“子どもたち”の照れくさそうな声があちこちから聞こえた。
 「おばちゃんありがとね!」

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