普賢岳大火砕流 報道の教訓、継承を 住民と記者がシンポジウム 長崎・島原

雲仙・普賢岳噴火災害時の報道などについて地元住民とメディア関係者が語り合ったシンポジウム=島原市大下町、市安中公民館

 43人が犠牲となった長崎県の雲仙・普賢岳噴火災害大火砕流惨事から33年になるのを前に、新聞労連九州地連(山口栄治委員長)は11日、島原市安中公民館で災害報道のあり方を考えるシンポジウム「雲仙セミナー」を開いた。当時の住民と記者が、災害遺構を巡る記憶と教訓の継承について語り合った。
 1991年6月3日の大火砕流惨事では報道関係者16人とスタッフを乗せたタクシー運転手、警戒中の警察官、消防団員らが亡くなった。団員が詰めていた北上木場農業研修所跡に遺族らが2003年、被災車両の保存を完了。取材拠点「定点」周辺は21年、安中地区町内会連絡協議会と報道各社が協力して整備し、共に災害遺構となっている。
 講演で同協議会長の阿南達也さん(86)は「二度と犠牲者を出さないことが活火山のふもとに住む者の使命」と定点周辺を整備した思いを説明。元同公民館長で雲仙岳災害記念館長の杉本伸一さん(74)は、二つの遺構の整備に20年近い差があったのは「(避難所での取材マナーで)報道陣ともみ合いになるなど、住民に怒りや不信感もあった」と指摘した。
 パネルディスカッションで杉本さんは、全国から参加した約50人のメディア関係者に「報道されると被災地も助かる面もあるが、取材される側の気持ちも考慮した上で取材してほしい」と要望。噴火災害当時から取材しているテレビ長崎記者の槌田禎子さん(66)は「『聞く側も覚悟をもって取材にきてほしい』と、ある犯罪被害者の遺族から言われたが、災害報道にも通じる。誰に対して、何を伝えなければいけないのかを常に自分自身へ問いかけることが必要」と呼びかけた。

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