新人看護師とのかかわり

大学卒の新人が多数派に

昨年4月から病棟勤務になり、久しぶりに学校を卒業したばかりの新人と働いています。私が最後に新人と働いたのは、1996年。内科病棟で、確か3人の新人を迎えたのが最後になります。
その後、新人が来ない部署でばかり働き、30年近くが経過しました。この間新人を取り巻く環境も変われば、新人自身の背景も、大きく変わっています。

厚生労働省によると、2022年度の看護学校の入学生は6万2876人で、前年度より978人減少。この数は18歳の人口減少と見合っており、今後も同様の状況が続くと考えられます。
そして、注目すべきは入学生の学校種別です。22年度の厚生労働省の統計によれば、「大学」が2万6517人と最多を更新。若干ですが、初めて「3年課程の専門学校等」を上回りました。
看護界全体について言えば、看護基礎教育の中心が専門学校から四年制大学に移ったと言えます。22年度の入学生が卒業する時期になれば、新たに看護師になる人は、大卒者が過半数を占めるようになるでしょう。
私が看護師をめざした1980年代初めは、看護系四年制大学はわずか11校しかありませんでした。現在は300校を超えるのですから、隔世の感があります。

では、この看護系大学の増加が、新人に劇的な影響を与えているかと言えば、そうとも言えない、というのが正直な実感です。すでに私の働く病棟には大卒者がたくさんいます。しかし、仕事ぶりを見ただけで、出身校が大学か専門学校なのかがわかると言うほどには、違いがないように思えます。
かつて、看護界を挙げて大学を増やそうと腕まくりしていた時期には、大学と専門学校の違いが強調される向きもありました。曰く、「専門学校卒は即戦力になるけれどあとが伸びない。大卒はその逆」などと言うように……。
けれど大学がここまで増えると、ことさらに違いを強調する必要もなくなりました。実際、看護師の成長は出身校以上に、人となりが大きく影響すると多くの人が感じているのではないでしょうか。大学出身者が当たり前になり、専門学校出身者は少しずつ減っていく。そのなかで、出身校へのこだわりが落ち着いていくのは、とてもいいことだと思います。

新人との年齢差を実感

では、新人について実感する変化は何かと言えば、ずばり、自分と新人の年齢差です。よほどの回り道をしていなければ、新人は20代前半。現役で看護大学に入学して卒業した人なら、22歳で就職します。
彼ら・彼女らの両親の多くは、50代。なかには60代という人もいるでしょうし、還暦の私には、同世代の範疇です。
つまり、新人にとって、還暦の同僚というのは親と同世代か年上にあたるんですよね。遠慮して仕事を頼みにくいなんて思われることがないように、こちらから声をかけるように気を付けています。

こんなふうに意識するのは、私が親くらいの歳の看護師と平場で働いた経験がないからです。私が新人時代にいた病院は、いわゆる市中の総合病院。病棟は20~30代の看護師が主力で、50代の看護師はほぼ全員が役職者でした。
だから、私と働く新人が今どんな気持ちなのか、正直なところ想像がつきません。意外と意識しないのか、するものなのか。卒業後すぐに親世代の同僚と働く体験をしていれば、私のように意識することはないのかもしれません。
改めて今の職場を見渡せば、役職なしの50代の看護師はたくさんいます。当院の看護師の平均年齢は40代。退職者は少なく、毎年入ってくる新人は10人前後にとどまります。

私が20代の頃、看護師は長く続けられないハードワークの筆頭。実際、私が当時勤務していた500床規模の急性期病院は、毎年30人程度、多い年は50人程度の看護師が入れ替わりました。
さらに、1000床規模の大学病院などでは、「毎年100人辞めて、100人就職するのが当たり前」と言われたほど。今も看護師の定着に悩む医療機関は少なくありませんが、あの時代に比べれば、ましになった気もします。
もちろん、まだまだ改善すべき点はたくさんあり、「私の頃はもっと大変だった」は禁句。特に、昨今の急性期病院では患者さんの入院期間が短縮化され、常にバタバタして忙しい、という悲鳴をいろいろなところから聞いています。
私自身、今この年齢で、急性期病院でヒラの看護師ができるかといえば、正直自信がありません。ある程度落ち着いてじっくり患者さんとかかわる精神科病院という環境。新人がこうした病院を選ぶというのは、以前はあまりなかった傾向です。

自分の変化が興味深い

最近では、新人看護師が一生懸命走り回っているのを見ると、素朴に応援してあげたい気持ちになります。かつて、指導者として新人を託されていた時には、こんなのんきにはなれませんでした。
実際、指導者に課されたミッションは重く、「夏までにはひと通りの経験をして、夜勤に入って独り立ちできる」ようにすることを求められていました。
そのため、経験させるべき看護技術などのリストを手に、日々経験をチェック。「まだこの人は浣腸をしたことがない」「あの人はブロフィール聴取数が少ない」と、眉間にしわを寄せて、主任に業務調整をお願いしたものです。
また、新人間の習熟度の違いにも敏感で、「あの人は技術がいまひとつ」「この人は、言葉遣いに問題がある」などと、指導グループで密談。今思えば、新人にあそこまで高いレベルを求めて、よく潰さなかったものだと思えるほどです。
私が新人時代に受けた指導は、当時としては温かいものでした。それゆえ、「指導者は寛容であらねば」「悪いところばかり見つけずいいところを伸ばさなければ」などと自分をいさめていました。それでも、「早く覚えてもらわなくては」という気持ちが強く、ついつい厳しくかかわってしまった場面もあったのです。
当時ほどではないにせよ、今指導にあたっている看護師には、「育てなければ」という気負いもあるのではないでしょうか。それはあって当然なのですが、一方で、皆が気負ってしまうと、プレッシャーでうまくいかなくなるものです。

私は現在、週3日のパート勤務。勤務表の順番も新人よりも下にいて、本当に気楽な立場で働いています。一緒に病棟に来た同僚は、今年の4月から2年目看護師。新人が来てから、頼もしさが増したように見えます。
リーダーや薬の係など、私には割り当てられない役割も2年目看護師はきちんと果たすようになり、その成長がまぶしく感じられる、今日この頃です。
この先多くの役割を担っていくだろう新人看護師が、成長していくのを見守るのは、本当に幸せなことです。若さは素晴らしい。

私は若い頃につらい経験もしてきました。だから、今の若い人をうらやましいとは思わない。「つらいこともあるけど頑張って」。そんな気持ちで見ています。そして、このように見ている自分に、とても満足しているのです。
がっちり指導する人、少し距離を置いて見守る人。いろんな人がいて、新人は育つのですよね。私の役割を果たしながら、自分の来し方を振り返りつつ、よい歳を重ねたいと思います。(『ヘルスケア・レストラン』2023年7月号)

宮子あずさ(看護師・随筆家)
みやこ・あずさ●1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業後、2009年3月まで看護師としてさまざまな診療科に勤務。13年、東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。博士(看護学)。精神科病院の訪問看護室勤務(非常勤)を経て、同院の慢性期病棟に異動。長年、医療系雑誌などに小説やエッセイを執筆。講演活動も行う。看護師が楽しみながら仕事を続けていける環境づくりに取り組んでいる。近著に『まとめないACP 整わない現場、予測しきれない死』(医学書院)がある

▼『ヘルスケア・レストラン』最新号のご案内とご購入はこちら

© 株式会社日本医療企画