【西武】清川栄治投手育成アドバイザーが62歳で死去 広島、近鉄で全438試合連続救援登板

清川栄治投手育成アドバイザー

西武は13日、投手育成アドバイザーを務める清川栄治氏が5月5日に悪性腫瘍のため東京都内の病院で死去したと発表した。62歳だった。故人の遺志により、葬儀は近親者のみですでに行った。

京都府出身の清川氏はプロ・アマで貴重な左腕として数々の功績を残した。京都商業高で78年に夏の甲子園に出場。その後は大商大へ進学し、関西大学リーグで当時としてはリーグ最多勝記録となる通算24勝をマークするなど活躍を遂げた。

プロ入りを望んだもののドラフト指名にはかからず、どうしても諦め切れなかった清川氏は83年オフにドラフト外で広島へ入団。名だたる面々が揃う一軍で生き残るにはマイナーチェンジが必要と考え、上手投げからサイドスローに転向して活路を見出し、主に中継ぎ投手として定着を果たす。87年5月16日から7月2日の公式戦では29人連続で出塁を許さず、プロ初登板から114試合連続で敗戦投手なしの日本プロ野球記録(当時)もマークした。

91年のシーズン途中に近鉄へ移籍。その後は98年に広島へ復帰し、同年限りで現役を引退。プロ通算記録の438試合登板は全て救援投手としてマウンドに立っており、13勝10敗12セーブ、防御率2・94だった。

引退後は古巣の広島、オリックス、社会人野球の日立製作所でも投手コーチを務めていた。2014年からは一軍投手コーチを歴任するなど西武で長きにわたり、指導者として後進育成にまい進していた。

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