世田谷で100年以上続くパン屋さんの象徴は、シンプルな食パン。松陰神社前『ニコラス精養堂』

三軒茶屋から下高井戸までを走る東急電鉄世田谷線。沿線のなかでも松陰神社駅周辺は人気のパン屋さんがある激戦区として知られている。新しい実力店が次々誕生する中、確固たる信頼で街の人から愛され続けているのが『ニコラス精養堂』だ。

松陰神社駅そばにあるお店の象徴的な存在は食パン。シンプルな味とレトロなトレードマークも人気の理由だ。

あんぱんにサンドイッチ、ケーキにシベリア。線路脇にある種類豊富なパン屋さん

洋菓子も豊富。ケーキは15時ごろには売り切れてしまうことも。

お店があるのは世田谷線松陰神社駅そば。お店でトレーとトングを持って種類豊富なパンやお菓子を前にしていると、カンカンカンと踏み切りの音が聞こえてくる。

人気のあるパンからどんどん売れていく。

店内は、地元密着のパン屋さんらしい親しみやすさでいっぱい。パンの商品棚は、手書きのポップと共にトレーに並べられたパンがずらりと並ぶ。

名物でもある焼印入りの松陰あんぱん130円。とろりとした舌触りの黄身あん入り。

そのラインアップは、あんパン、カレーパン、焼きそばパンなど、懐かしい街のパン屋さんらしいものから、ベーコンエピや小型のフランスパンに黒豆が入ったもの、チョコレートのかかったデニッシュパンなどバラエティ豊富だ。

冷蔵ケースにはバーガーや三角サンドなど。

サンドイッチ用の冷蔵ケースにも具沢山の三角サンドにバーガー類。カウンターになったショーケースの中はケーキやプリン、その上にはボックス入りのクッキーと、幅広い商品にも目を見張らずにはいられないのだ。

忘れられないトレードマーク付きの食パン。毎日食べても飽きないシンプルさ

ニコラスの食パン160円。

『ニコラス精養堂』の看板商品はなんといっても食パンだ。シンプルな素材で作られていて、小麦の味をしっかり味わえる。密度が高い白い部分(クラム)はほんの少し塩味が感じられて、ミミの部分(クラスト)からは香ばしい香りがする。毎日食べても飽きないおいしさだ。

現在3代目として店を切り盛りする太田泰照(おおたやすてる)さんは、サンドイッチに使うパンとしての食パンを重視。「食パンが人気なのは、ハムや玉子、カツ等の主役を引き立てる“脇役としての食パン”の役割りに徹し続けているからでしょうね」と話す。

スタッフさんの間で人気のサンドは、エビカツサンド280円とスペシャルサンド250円。どちらもボリュームたっぷり。

長い歴史の中では、イギリスパンや生クリームを配合した口当たりのいい食パンなども作ったことはある。「サンドイッチには合わなかったし、食べたあとに口の中に残る感じもあるので」とシンプルさを重視して、現在はラインアップから外れている。

トレードマークをデザインしたエコバッグも販売。

『ニコラス精養堂』の食パンの、印象的な青いトレードマーク。これは創業当時からあったらしい。

「かわいいとかおしゃれとか言われますが、昔はどこのパン屋にも、こういうマークがありましたよね。使い続けている店が少ないから、希少価値になっちゃった」と太田さんは、子供のころから見慣れたトレードマークがもてはやされることにくすぐったい気持ちがあるようだ。

街の人は家族同様。世田谷区内の保育園や学童にもパンを配達

初代の写真の前にあるのは、牛乳屋さんだった頃に使われていた備品。「人間万事塞翁が馬」は家族のモットーだ。

『ニコラス精養堂』の初代は、太田さんの祖父にあたる太田睦賢(ぼっけん)さん。長野県で生まれて10代で東京に出て洋菓子店で丁稚奉公していた。

20代半ばで独立して牛乳販売の事業を青山で始めたあと、大正12年(1923)に発生した関東大震災を機に世田谷に移転し、パン屋さんを開いた。

素朴な姿のロールケーキ。挟まれている羊羹も自家製のシベリアはだいたい1日おきに店頭に並ぶ。

当時世田谷にあった陸軍の施設にドーナツやシベリアなどを納品。戦時中も陸軍との関係から他のお店よりもいい材料で配給用のパンを作ることができた。

睦賢さんは太田さんが生まれる10年ほど前に亡くなったが、家族から聞いた印象から「きっと祖父は人たらしだったんだと思います」と分析する。森永製菓の創業者である森永太一郎や、国士舘大学の創立者、柴田徳次郎、西郷隆盛の弟、従道とも親交があったと伝わっている。

睦賢さんは子供たちに「金はいくら儲けてもキリがない。金は世のため、人のために使ってこそ生きてくる」と繰り返し教えていたそう。その精神は、現在の会社経営にも生きていて、パンやお菓子の価格も良心的だ。

いろいろなもの値段が上がる中、今のところ価格は据え置き。パンやケーキを買いに訪れるのは、太田さんにとっては生まれ育った地元の人がほとんど。「親兄弟のような人たちから高いお金を取ることはできないでしょう?」というほど、近しい存在の人たちだという理由もある。

お弁当はランチタイムに販売中。

『ニコラス精養堂』では、世田谷区内の保育園や小学校の学童などにもパンを配達。国士舘大学では学食の運営も行なっていて、今はお昼前後には店舗の前でお弁当も販売している。お弁当販売はコロナ禍で学食の仕事がなかったときに始めたもので、こちらも良心的な値段。すっかり人気になって、学食再会後の今も、続けてほしいという声に応えて継続している。

お店の長い歴史のなかでは関東大震災、戦争、コロナ禍があったが、家族のモットー「人間万事塞翁が馬」と、時代や周囲の人からの求めに臨機応変に対応してきた。『ニコラス精養堂』は近隣に住む人にとってなくてはならない存在だ。

ニコラス精養堂(ニコラスせいようどう) 住所:東京都世田谷区若林3-19-4/営業時間:8:30〜18:00/定休日:日・祝/アクセス:東急世田谷線松陰神社前駅からすぐ

取材・撮影・文=野崎さおり

野崎さおり
ライター
2016 年よりライターとしての活動を開始し、複数のweb媒体で食べ物やお出かけネタを中心に執筆。おいしいものはもちろん、作る人とその背景に興味あり。都内をバスか徒歩で移動するのが好き。

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