人間性やスタンスが如実に表れたMLB挑戦時の「西海岸かつ小規模都市」へのこだわり【大谷翔平「二刀流の血脈」自信と気質とアタマ編】#5

獲得に自信たっぷりのヤンキースのキャッシュマンGM(左端)だったが…(2017年日本ハム―ソフトバンク戦、大谷を視察)/(C)共同通信社

【大谷翔平「二刀流の血脈」自信と気質とアタマ編】#5

華々しい活躍で世界を沸かすドジャース大谷翔平(29)。

日刊ゲンダイが過去に連載した「秘話 大谷翔平『二刀流の血脈』」を、大谷の自信、気質、アタマの3点に焦点を当てて再編し、その軌跡を紐解いていく。(第4回からつづく)

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日本ハムの山田正雄スカウト顧問(当時GM)に加え、中学時代の担任もまた大谷の性格を心配したひとりだった。

大谷は困っている子がいれば助け、物を忘れた子がいれば自分の物を貸した。シニアで実力を発揮していても、中学の野球部の試合には「出ない方がいい」と言う。練習時には自分から進んで球拾いをし、ノックの球出しまで買って出た。プロでやっていくには優し過ぎる気がしたという。しかし、その心配は杞憂に終わる。

日本ハムで前代未聞の二刀流に専念できたのは、大谷の実力が投打で突出していたことはもちろん、ナインの理解を得ていたからこそだ。周囲に敵をつくらず、年上にもすんなり溶け込める末っ子気質がプラスに作用した。

そんな人間性やスタンスは進路選びにも影響した。

一関シニアは大谷がいた当時、全国大会にも出ていない。中学時代から有名だった菊池雄星には関東を含め、多くの野球強豪校から声がかかったものの、大谷に対しては4校ほどだった。その中には関東の学校もあったらしいが、父親の徹さんは都会の学校だと埋もれてしまうかもしれないと危惧した。関東の学校でなく地元の花巻東を選んだ大谷もあるいは、父親の影響を受けたのかもしれない。

日本ハム入りはドラフトで自分の意思は関係ないとはいえ、メジャー挑戦する際の球団選びが象徴的だった。

ポスティングシステムで米球界入りした17年オフ、多くの球団が獲得に名乗りを上げた。ヤンキースもその中のひとつ。キャッシュマンGMは当初、獲得に自信をもっていたが、2次選考の面談にすら進めずソデにされた。その際、「我々がビッグマーケットをもっていて、東部にあることは変えられない。この街やファンには誇りをもっている」とコメントした。それなら、どうぞ西海岸の小規模都市でプレーしてくださいと言わんばかりの“捨てゼリフ”だった。

大谷が「西海岸の小規模都市」にこだわったのは理由がある。メジャーで二刀流は、かのベーブ・ルース以来。ほとんど前例がないわけだから、日本ハムで始めたとき以上の波紋を呼ぶ。十分な機会を与えられれば結果を出す能力も自信もあるものの、特に東海岸の人気も実力も兼ね備えた球団では、さっさと見切りをつけられてしまう可能性があったからだ。(つづく)

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冷静に物事を見極められる大谷は、地頭も良かったそうだ。中学時代から初見の相手チームでも打者毎のクセや特徴をインプット、完璧に分析してたし、成績もクラスで上位だったという。

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