旧優生保護法訴訟で口頭弁論 「国は一刻も早い謝罪と賠償を」強制的に不妊手術を受けた男性の訴え

札幌高等・地方裁判所庁舎(PIXSTAR / PIXTA)

旧優生保護法によって強制的に不妊手術を受けたとして、被害者の男性が国に対し、損害賠償を求めた裁判の証人尋問が札幌地方裁判所で開かれた。

旧優生保護法は「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止」するのが目的

そもそも、旧優生保護法は1948年に制定され、1996年まで施行していた法律。同年からは母体保護法に改定している。ちなみに、旧優生保護法の第1条には次のような優生思想丸出しともとれる条文が書かれている。

「この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする」

旧優生保護法はハンセン病や精神疾患などがある人を対象として、人工妊娠中絶や「生殖腺を除去することなしに、生殖を不能にする手術で命令をもつて定める」優生手術を規定。22年に日本弁護士連合会が出した決議文「旧優生保護法下において実施された優生手術等に関する全面的な被害回復の措置を求める決議」によれば、48年の間に約8万4000人が被害を受けたという。

同法に対し、「当時は法に適合していた」などとして国は謝罪などをしてこなかった。しかし、訴訟活動の活発化などを受けて2019年、被害者を救う法律が施行されている。各地で提起されている裁判のうち、22年の東京高等裁判所判決では、国の責任を認めたうえで「国の施策による被害だと原告が認識する以前に賠償を求める権利が失われてしまうのは酷」などとして、国に賠償を命じている。

「人生を狂わされた。一刻も早い謝罪と賠償を」

5月7日、札幌地方裁判所。この日開かれた口頭弁論には、国を訴えた80代の男性とそのめいとなる女性が証人として出廷した。めいの女性は男性の家のそばに引っ越し、通院などの手伝いをしていた。女性は弁論の中で「初めの頃、叔父は高齢などの理由もあって訴訟を提起するつもりではなかった。しかし、他の被害者の手伝いができるのであればと裁判を起こした」とし、「当時入所していた施設や裁判の話になると、叔父は怒ったように喋(しゃべ)る」と説明した。

次に男性の証人尋問へ。男性は、当時入所していた施設について「ひどいところだった。無賃金で作業していた」と主張。「何も伝えられずに(病院へ)車で連れて行かれ、そこで手術を受けさせられた」と被害を訴え、「本当にひどいことをされ、人生を狂わされた。何のためにこのような法律を作ったのか。国には一刻も早い謝罪と賠償を判断していただきたい」と求めた。

男性は道東の生まれ。3歳の時に母親を亡くしており、小学校に入学してから父と2人暮らしをしていた。男性は当時のことを「大変だった」と振り返る。17歳の時には岩見沢の施設に入所。「将来を考えれば、施設に入れば自分にとっていい(影響がある)かなと思っていた」と施設に入所した理由を説明した。

ただ、施設は男性が思っていたようなものではなく、「入所者は精神的に病んでいる人が多い印象だった。将来に向けて職を身に付けられるようなところではなかった」と話した。

お見合い話も破断、男性「家庭など作れない」

男性は施設で“オンドル”と呼ばれる暖房に関する仕事に従事。施設の職員に言われるがまま、オンドルに石炭を入れて暖房をたいていたほか、近くの労災病院の残飯を受け取りに行く仕事もしていた。男性はその後、21歳の頃に岩見沢の市立病院で不妊治療の手術を受けた。その際には手術を行う理由の説明もなく、あっという間に終わったという。手術後の感覚で、男性は「これは避妊手術を受けたんだろう」と判断したという。

男性はその後、小樽にある道立の施設へ。木工機械などを用いて版画づくりや畑作業にも少し従事した。その際にはとある道職員と親しくなり、お見合いの話を持ちかけられた。ところが、どこからか男性が不妊手術をしたという情報が伝わったのか、お見合いの話はなくなった。男性によると、道職員とはそれから連絡が取れていないという。

そのうえで男性は、「結婚するより、1人で暮らした方がいい。家庭など、作れないと思った」と話した。男性には疾病や障害はなかったのだが、このような仕打ちを受けてしまったわけだ。

裁判は引き続き行われる。国の責任が認められるのかどうかに注目が集まる。

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