故・可愛かずみさん結婚直前“謎の死”から27年…親友・川上麻衣子の投稿で思い出されること

可愛かずみさん(C)日刊ゲンダイ

《5月9日 時が経つほど、寂しさは募ります。ずっと共に、、。》

12日までに、今は亡き可愛かずみさんとのツーショットを自身のインスタグラムに公開した、女優の川上麻衣子(58)。可愛さんが1997年5月9日に32歳の若さでこの世を去ってから27年、川上は親しかった可愛さんを改めて偲んだ。

可愛さんが亡くなった5月9日のその時間、筆者はちょうど可愛さんが所属していた芸能プロダクションの社長と電話で話をしていたところだった。途中で社長が突然、「本多さん、今、可愛が……」と叫んで、電話が切られたことを今でも鮮明に覚えている。

亡くなった2カ月後に、当時自動車販売会社社長と七夕に結婚する予定だった可愛さん。

「可愛さんはウエディングドレスを着るのを楽しみにしていたと聞いています。その可愛さんが、目黒区の閑静な住宅街にあるマンションの7階から飛び降りた。可愛さんをかわいがっていた志村けんさんや親友の川上麻衣子が、途方に暮れていたことを覚えてます」(元女性週刊誌記者)

可愛さんが特に興味がなかった芸能界入りしたのは、高校時代にスカウトされたのがきっかけだった。82年に公開された日活ロマンポルノ映画「セーラー服色情飼育」で女優デビュー。ロマンポルノ出演は本意でなかったことから、ポルノ映画出演はこの1本のみ。その後は「脱ぐ仕事はしたくない」と事務所を移籍。テレビ東京の作品が、テレビドラマデビューとなった

「キュートなマスクと抜群のプロポーションでグラビアでブレークした可愛さんは、ポルノ女優と呼ばれることを嫌がり、ドラマやバラエティーに進出し、歌手としても活躍しました」(スポーツ紙記者)

当時、可愛さんは川上が暮らしていた港区の同じマンションに住んでいたと言われている。近所に引っ越してきた故・志村けんとも親しくなり、3人で麻布十番で飲む姿が頻繁に目撃されるようになった。

■元恋人のマンションで…

「可愛さんは出演したドラマの収録で何度もNGを出したことがトラウマになって、精神的に不安になり大量に睡眠薬を常用していたたため、周囲の人たちが可愛さんを心配していたといわれていました。95年に、当時ヤクルトスワローズに在籍していた川崎憲次郎投手との熱愛で、多くの人を安心させたのですが……」(当時を知る芸能プロダクション幹部)

その後、結婚秒読みと言われた2人だったが、川崎投手が怪我で戦線を離脱。治療に専念するために、可愛さんと距離を置いたことで破局したと言われている。

「川崎投手と別れた翌年、志村さんとのツーショット写真が週刊誌に掲載されました。そのことで"志村さんに迷惑をかけた"と、可愛さんはかなり思い詰めていた。その時支えたのが川上だったと言われています」(前出・女性週刊誌記者)

その後、可愛さんに自動車販売会社社長との交際が発覚。

「可愛さんと新恋人と婚約。97年7月7日に結婚を控えて幸せ絶頂と思われていました」(芸能ライター)

しかし、1997年5月9日当日、自傷行為をしたのち、ドリアを完食したことで関係者をホッとさせたものの、午後6時半ごろ、留守番の女性に「病院に行ってくる」と言って出けたのが最後になった。

「可愛さんは元恋人の川崎さんのマンションの7階から身を投げたことで、ワイドショーや週刊誌に大々的に報じられた。マリッジブルーになったとか、婚約者との関係が悪化したといった憶測や噂が飛び交いましたが、遺書がなかったことから、真相はわかりませんでした」(前出・芸能ライター)

川上が可愛さんとのツーショットをアップしたインスタグラムの投稿に、《トライアングルブルー最高でした!》《可愛さん、とても素敵な人でした》といったコメントが多くのファンからあがっている。可愛さんに、改めて合掌。

(本多圭/芸能ジャーナリスト)

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■厚生労働省のホームページで紹介している主な悩み相談窓口

▽いのちの電話
℡0570・783・556
(午前10時~午後10時)
℡0120・783・556
(午後4~9時、毎月10日は午前8時~翌日午前8時)

▽こころの健康相談統一ダイヤル
℡0570・064・556
(対応の曜日・時間は都道府県により異なる)

▽よりそいホットライン
℡0120・279・338
(24時間対応)
岩手、宮城、福島各県からは
℡0120・279・226
(24時間対応)

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