米軍機による戦艦大和爆撃の映像を初公開 大分の市民団体 鹿児島、宮崎の日本軍飛行場を攻撃する記録も

山口県岩国市沖で爆弾を回避する戦艦大和(矢印)。不発弾の水煙から特色ある長い艦首が確認できる(豊の国宇佐市塾提供)

 太平洋戦争中の米軍撮影映像を解析している大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」(平田崇英塾頭)は12日、戦艦大和関連のカラー映像2点を公開した。1945(昭和20)年3~4月、米海軍攻撃機の搭乗員が手持ちカメラで撮影したもので、戦闘中の大和映像の公開は初。航空機に主力武器の座を奪われた世界最大戦艦の無力さが見て取れる。

 45年3月19日午前8時すぎ、山口県岩国市沖で米空母「ベニントン」所属機に急降下爆撃を受ける大和は、大きく右にかじを切って爆弾を回避。爆発した至近弾が艦橋よりも高く水柱を上げている。航空部隊の同日付戦闘報告書に、同じ構図の写真が添付されていた。

 もう1点は4月7日午後0時40分ごろ、大和を中心に「輪形陣」をつくって鹿児島県枕崎市沖を沖縄へ向かう第一遊撃部隊とみられる。大和は白いもやに隠れ見えないものの、迫る米航空部隊に対し、輪形陣が一斉に左にかじを切り、大和が発射した高角砲など大量の対空砲火の光が確認できる。1時間40分後、大和は猛攻撃の前に沈んだ。宇佐市塾は、両軍の報告書や天候などを勘案し、大和最後の作戦の映像と判断した。

 宇佐市塾の織田祐輔さん(37)は「不鮮明だが、大和の映像を確認できたのは収穫」と話した。

 豊の国宇佐市塾が12日公開した映像には、1945(昭和20)年3月18日、米海軍航空母艦(空母)から出撃した戦闘機隊が鹿児島、宮崎の日本軍飛行場を波状攻撃する様子が記録されている。

 陸軍都城西飛行場(宮崎県都城市)には同日午前7時半、軽空母「バターン」などを発進した戦闘機隊が来襲。駐機中の陸軍機や地上施設にロケット弾や機銃弾を浴びせ、炎上させた。

 「バターン」は、正午前に第2次攻撃隊を同飛行場へ派遣した。先の攻撃隊から「飛行場南側の掩体壕(えんたいごう)群に討ち漏らした機体がある」と報告を受けたためだった。

 同日午後4時前に海軍鹿児島飛行場(鹿児島市)に対し行われた攻撃も「バターン」の戦闘機隊が担い、出撃回数は5次に及んだ。

 米海軍は同日、空母12隻に搭載された1400機を複数回出撃させて、九州の日本軍航空基地を徹底的にたたいた。空母ごとに攻撃対象が割り当てられ、「バターン」所属の部隊は、都城、鹿児島、出水を任されていた。

 宇佐市塾の織田祐輔さん(37)は「執拗(しつよう)な攻撃は、沖縄上陸作戦の最大の障害と目されていた特攻機を減らすためだった」と解説する。

 宇佐市塾は今回、17点、計8分28秒の映像を公開。18日開く「第18回宇佐航空隊平和ウオーク」で公開するほか、同日まで南日本新聞ホームページで視聴できる。

枕崎市沖で輪形陣をつくって米海軍航空部隊を迎撃する第一遊撃部隊。戦艦大和(矢印)はもやに包まれている(豊の国宇佐市塾)
陸軍都城西飛行場の南側に設けられた掩体地区にロケット弾を発射する米戦闘機(豊の国宇佐市塾提供)

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