安仁屋宗八氏が愛弟子の元広島・清川栄治氏を悼む 「彼は人間的に最高で選手のいいお手本だった」

 清川さん(右)と対談する安仁屋氏=2006年、沖縄

 元広島、近鉄の投手で変則左腕として活躍した清川栄治氏が5月5日、悪性腫瘍のため死去した。62歳だった。広島時代、投手コーチとして同氏を指導したデイリースポーツ評論家の安仁屋宗八氏は「彼は人間的に最高で選手のいいお手本だった」と手塩にかけた秘蔵っ子の早すぎる死を悼んだ。438試合連続救援登板は引退した1998年当時のNPB記録。

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 体調がよくないと聞いて去年、連絡を取ったことがあったんですよ。でも、こんなに早く亡くなるとは…本当に残念で仕方がない。

 清川という選手は非常に素直で、練習も真面目にコツコツやるタイプだった。特に上手投げからスリークオーター(肘の位置は徐々に下がっていった)に変えたときは必死になって取り組んでいた。

 (1984年の)入団当初、球にキレはあっても制球力に欠けていたので、しばらくしてから私と同じような腕を下げた投法を勧めのだが、最初は気が乗らない感じだった。元来は左の本格派。腕を下げることに対し、故障の不安を含めて抵抗があったようだ。

 しかし器用でもあり、決断してからは自分のものにするのが早かった。キャンプでは私も腕の位置を捕手の後ろから1球ごとに確認して、付きっきりで教えましたね。全体練習が終わっても1人残ってシャドーやネットピッチングを延々やってましたよ。

 私がコーチとして育てた投手は山根(和夫)とこの清川ぐらいだが、清川は近鉄へ移ってから、より評価が高まったのではないか。

 移籍先の近鉄では投手としてだけでなく、人としての振る舞いも評価されていたみたいでね。当時の仰木(彬)監督が清川の几帳面さを褒めてましたよ。

 あるとき、藤井寺球場に出入りするクリーニング業者の担当が、わざわざ仰木監督に「清川さんの洗濯物を一度、見てください」と言いに来たらしい。

 ユニホームを洗濯に出す際、シャツやソックスまで、必ずきれいに畳んで置いていると。仰木さんからその話を聞いて、彼の生真面目ぶりは広島時代から変わらないなと思いましたよ。

 彼は他人の陰口は決して言わないし、悪く言われることもなかった。礼儀正しくてきれい好き。少し神経質な面もあったが、人間的に最高で選手のいいお手本であり、だれからも愛される好人物でした。

 着物が似合い、書道の先生でもあるお母さんが広島を訪ねて来たとき、3人で食事をしたことがあった。目の前にいる親子を見て“いい家庭で育てられているな”と感じたその光景が思い出されるね。

 まだ若いのに、また寂しくなるじゃないか。津田(恒実)といい、北別府(学)といい、清川といい…ものには順番があるんだから、ワシより先に死んじゃあいけんよ。

        合掌

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