86年カープV貢献・清川栄治さん逝く 近鉄でも活躍 早すぎる62歳、悪性腫瘍で

 カープ時代の清川栄治さん=1990年10月

 西武は13日、投手育成アドバイザーの清川栄治さんが、5日に悪性腫瘍のため東京都内の病院で死去していたことを発表した。62歳。京都府出身。葬儀などは故人の遺志により近親者のみで執り行われた。現役時代は広島、近鉄でサイドハンドの変則左腕として通算438試合全てにリリーフ登板。地味ながら中継ぎの価値を上げる球史に残る投手だった。引退後は広島、オリックス、西武で指導者として活躍。西武は14日の1、2軍とも喪章をつけて試合に臨む。

 たった一つのアウトに心血を注いできた清川さんが、天国に旅立った。西武の2軍投手総合コーチを務めていた昨シーズン途中に病気が発覚。現場を離れ闘病生活に入り病魔と懸命に闘ったが、帰らぬ人となった。

 左のサイドハンドという変則フォームから直球、カーブ、スライダーを駆使して打者に立ち向かった。特に阪神のバース、掛布、巨人のクロマティなど左の強打者に対するワンポイントで起用された。プロ入り3年目の1986年には自己最多の50試合に登板。0勝0敗1セーブながら防御率2.55でリーグ優勝に大きく貢献した。

 91年シーズン途中に近鉄に移籍。92年5月15日・ダイエー(現ソフトバンク)戦(平和台)では2番手として登板し、右打者のブーマーを迎えると一塁を守り再びマウンドに上がりセーブを挙げたこともあった。97年には424試合連続救援という当時の日本記録も樹立した。通算438試合全てリリーフ登板。先発、中継ぎ、抑えと分業制の創成期に中継ぎの評価を上げる活躍を見せた。

 京都生まれで伝説の投手・沢村栄治さんにあやかり「栄治」と名付けられた。沢村さんと同じ京都商に進学し本格派左腕として活躍。大商大を経て投手王国の広島に入団。北別府、山根、川口、大野、川端、津田と一流投手の中で投球フォームを変更し、中継ぎ投手として輝きを放った。

 マウンドでは職人肌で強打者と対峙(たいじ)したが、ユニホームを脱ぐと真面目でありながらユーモアを持ち合わせていた。広島時代は指導者や先輩にかわいがられ、特に86年の胴上げ投手にもなった1学年上のストッパー津田恒実と仲が良く、球場の行き帰りは助手席に座っていた。

 脳腫瘍のため引退した津田さんは93年に他界。津田さんの人生が描かれたテレビドラマに清川さんは森脇浩司さん(元オリックス監督)とともに友情出演した。また、津田さんが愛用していたベルトのバックルを形見にもらい、近鉄時代は身につけてマウンドに上がっていた。

 移籍先の近鉄では阿波野、小野、吉井、野茂、佐野、赤堀ら個性派ぞろいの後輩投手から慕われた。古巣の広島に戻った98年限りで15年の現役生活を終えた。通算13勝だったが、記録以上にファンや球界関係者の記憶に残る投手だった。

 引退後は広島、オリックス、西武で指導者として活躍。ユニホームを脱いだのは2013年の1年だけだった。闘病中もリポートを提出するなど最後まで野球に関わってきた。西武が14日の試合で1、2軍とも喪章をつけて試合に臨むのも、功績はもちろん誰にでも慕われる清川さんの人柄もあるだろう。

 長年にわたり選手、指導者としてプロ野球界に多大な功績を残した。先に逝った北別府さん、津田さんとともに先発、中継ぎ、抑えトリオで投手王国を築いているだろう。

 ◆清川 栄治(きよかわ・えいじ)1961年9月21日生まれ。京都府出身。現役時代は左投げ左打ちの投手。京都商、大商大を経て1983年オフにドラフト外で広島入団。50試合に登板した86年はリーグ優勝に貢献。91年に近鉄へトレード移籍。広島へ復帰した98年に現役引退。引退後は広島、オリックス、西武で投手コーチを歴任。1軍通算出場438試合は全てリリーフ登板。

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