“敵役”菊之助を得てこそ生きる團十郎の正義 「團菊祭五月大歌舞伎」の見どころはここだ

歌舞伎座(C)日刊ゲンダイ

5月の歌舞伎座は恒例の團菊祭。最初の『鴛鴦襖恋睦』は、尾上松也・尾上右近・中村萬太郎が初役で挑む。1時間弱の長い舞踊劇だが、ドラマチックで美しく、飽きさせない。

昨年4月に亡くなった4代目市川左團次の追善で、その子、男女蔵が歌舞伎十八番の『毛抜』を歌舞伎座で初めて演じている。男女蔵は脇役がほとんどだったが、昨年7月の歌舞伎座で『神霊矢口渡』を演じて以来、12月の南座での團十郎襲名で『助六』の意休、今年2月の名古屋・御園座での『慶安太平記』と、主役・大役が続く。5代目を襲名する布石であろう。それを十分に期待させる堂々たる、『毛抜』だった。市川宗家当主たる團十郎が、後見として、花道を引き込むのを見守る演出。

その團十郎は、昼は『極付幡随長兵衛』。何度も演じているので、隙も破綻もない。侠客の親分としての貫禄も十分。敵役の水野十郎左衛門は尾上菊之助で、悪人を平然と演じ、底知れぬ冷酷さをにじみ出す。うまく演じるほど、観客からは憎まれる損な役だが、團十郎に拮抗できるのは自分しかいないと、分かっているのだろう。

團十郎・菊之助の共演は2月の御園座での『勧進帳』以来だが、歌舞伎座では昨年5月の團菊祭以来。菊之助という敵役を得てこそ、團十郎の正義は生きる。その逆の場合も同じだ。

菊之助の勝負の舞台は、夜の部『伽羅先代萩』の政岡。最近は立役が多くなったが、女形の大役も持ち役としていく覚悟の表れだ。今回は「まま炊き」も丁寧に見せる。一般の子役が演じることの多い千松と鶴千代は、丑之助(菊之助の長男)と種太郎(歌昇の長男)と、いわゆる御曹司がつとめているのも、みどころ。

もともと菊之助はどの役もポーカーフェースで、感情を見せない傾向があるので、中盤の、自分の子が殺されても動じない、本音を隠す演技という、難役の場は見事。その後、死んだ我が子への思いを吐露するシーンは、一転して感情を爆発させる。あまりの狂乱ぶりに、驚く。
『伽羅先代萩』は政岡役がどんなにがんばっても、そのすぐ後の「床下」の仁木弾正でかすんでしまい、気の毒だ。團十郎の仁木弾正は、セリフもなく、花道を引き込むだけなのだが、数分間、劇場を完全に支配。3階の花道の上の席で見たので、途中で團十郎は見えなくなるのだが、幕に映る影が、仁木弾正の悪の大きさと不気味さ、そして神秘性までも感じさせる。影だけで、観客の心を捉えられるのは、團十郎くらいだ。

尾上松緑は『四千両小判梅葉』で主役。祖父.2代目松緑から、菊五郎を経ての役の継承。牢屋の場のリアルさが明治の初演時に話題になったが、いま見ても実録もの的面白さに満ちている。

(作家・中川右介)

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