韓国にはびこる“反日思想”というモンスター。韓国で生れ育ち日本に帰化した作家が明かしたZ世代の日本の捉え方

4月の韓国総選挙で与党が大敗し、政権運営の方針を見直さざるを得ない状況に陥った尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領。

対日強硬も掲げる野党勢力が過半以上を占める中、日韓関係への影響が注目されている。

その韓国で2030と呼ばれるZ世代の若者たちは、日本に対してどんな思いを抱いているのか。

韓国で生れ育ち、日本に帰化した作家・シリアンシー氏の著書「Z世代の闇 物質主義に支配される韓国の若者たち」から一部抜粋・再編集して紹介する。

社会的持論は「お金を得るための道具」

2030の特徴のひとつにある「デジタル文化、インターネット文化」というネット関連(デジタル世代)の側面とともに、彼らが「社会的持論のふりをしてきたもの」には本物の社会的持論(物質主義、拝金主義)と矛盾する点があるのに、なぜそれが修正されなかったのか、なぜいまも修正されずにいるのか、そんな話になります。

ネットの話は、「陣営論理(無理をしてでも自陣営だけを『善』とする現象)」とも、そのままつながります。

これまでも韓国にはそれぞれの時代ごとに、思想や通念、「よき」とされる概念、そんな社会的持論がありました。

しかし、それらはすべて物質主義と強く結びついており、結局は物質(お金)を得るための道具になってしまいました。

口で言っていることと実際の行動の辻褄が合わなくなったのです。そんなものは、普遍的な持論にはなれません。

染みついた処世術は精神から離れない

たとえば、子供が「噓をつくのは悪いことです」とどれだけ学校で教育を受けても、身の回りの大人が平気で噓をつくのを見ながら育つと、口では「噓をつくのは悪いことだ」と言いつつ、実際は自分で噓をつくようになります。

「こんなものだろう」という、これはこれである種の持論、いや処世術が出来上がってしまうわけです。

そして、そうやって染みついた処世術は、学力水準とは別の話として、なかなか精神世界から出ていってはくれません。

これから私が経験した範囲、そして考えが届く範囲内で、いくつかの事例を紹介していきます。

同時に、なぜこれらの「社会的持論もどき」が、それぞれの時代に修正されなかったのか、なぜ矛盾を指摘する声が強くならなかったのか、その点についても分析していきます。

反日思想から覚めることはない

先ほども書いたように、矛盾が矛盾のまま修正されない要因として、「そういうものを見て育ったから、そんなものだろうとしてしまう」ことがあります。

これがもっとも大きな要因ですが、それ以外の要因を探っていくと、そこには「反日思想」というモンスターが横たわっています。

社会的持論の矛盾を修正するのに、なぜ反日思想の話が出てくるのか不思議に思われるでしょう。しかし、これは事実です。

ここでは反日思想だけでなく、「陣営論理」というものについて、一緒に考察する必要があります。

一部には「韓国の反日思想は、若い人たちの間では弱体化された」と主張する人たちがいますが、それは違います。まずは、この点から書いてみます。

どこをどう見るか、たとえば「どの範囲で語るのか」などで異なるでしょうけれど、私は「根幹はなにも変わっていない」と見ています。

幼かった頃から「日本は加害者なのに謝罪も賠償もしていない」という話ばかりを目にし、耳にしながら育つので、いくら個人化が進んだとしても、反日思想から覚めることはありません。

「親日」は支持されない

実際、反日思想を扇動して選挙で勝ったという話は聞いたことがありますが、「親日」で支持を集めたという話は聞いたことがありません。

2024年4月の総選挙に与党から出馬する予定の国会議員予備候補だったチョ・スヒョン氏は、数年前に「併合時代のほうが、朝鮮時代よりも暮らしやすかったのかもしれない」とSNSに書いた事実が明らかにされ、「国民のみなさまへ」としながら、「私が愚かでした。もう二度としません」と謝罪しました。

2024年3月15日には、「光復会」という韓国の独立有功者団体を訪れ、土下座までしました。

感情面はともかく、歴史的に併合時代に飛躍的な発展を遂げたのはすでに証明されている事実です。

しかし、そんな話が通じるはずもありません。まだまだ、こんな社会です。

「日本と戦う」という意味で「竹槍歌」という反日ソングを流していた政治家が若い層から支持を得ているというニュースはあっても、その逆は聞いたことがありません。

先ほども書きましたが、ゲームやアニメなどの日本作品が発売禁止など理不尽な被害にあっても、「早く遊びたかった」と愚痴る人はいても、その理不尽さに異論を提起する人はほとんどいません。

「それはそうだけど、私は遊びたかったんだよ」レベルです。

宗教から道徳を学ぶ?

アイデンティティは、人の生き方に「道徳」としての機能を果たします。

古い本ですが、1899年のアメリカで発売され、欧米での日本観に大きな影響を及ぼした新渡戸稲造著『武士道』を読んでみると、「キリスト教のような宗教がないなら、人々はどこから道徳を学ぶのか」と、欧米の友人が日本人の道徳観を不思議に思う場面が出てきます。

日本からすると、「えっ、じゃ宗教から道徳を学ぶのですか?」と、欧米のほうが不思議だったりしますが、欧米の文化において、キリスト教の教えは宗教的な側面(教義)だけでなく、生活的な側面(道徳)でも大きな影響力を発揮しました。

難しく考えることもないでしょう。「弱者を助ける」などがそうです。

私も一時、キリスト教徒だったことがありますが、「罪を犯したことがない人だけ、石を投げなさい(他人を判断しようとする前に、自分自身で基準を守っているのか省みなさい)」などは、「私には他人の道徳性を判断する資格がある」と思い込む人が多くなった最近の社会において、なかなか心に響く教えであるといまも思います。

そして、こうした「宗教の教理から来る道徳観」に、韓国の反日思想はとても似ています。
学校で直接教えるかどうかより、「どこにいても」その影響を受けるからです。

シンシアリー(SincereLEE)
1970年代、韓国生まれ、韓国育ちの生粋の韓国人。歯科医院を休業し、2017年春より日本へ移住。2023年帰化。母から日韓併合時代に学んだ日本語を教えられ、子供のころから日本の雑誌やアニメで日本語に親しんできた。韓国の反日思想への皮肉を綴った日記「シンシアリーのブログ」は1日10万PVを超え、日本人に愛読されている。初めての著書『韓国人による恥韓論』から第18弾『韓国の絶望 日本の希望』(扶桑社新書)など、著書は70万部超のベストセラーとなる。

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