【コラム・天風録】社会の準備

 呉市出身で映画監督の信友直子さんの実家にヘルパーが来た初日の出来事だ。「私流のやり方があるんじゃけん」。洗濯機前で通せんぼする認知症の母。ヘルパーは「洗濯の仕方を教えてくださいや。水道代の節約になるんじゃってね」と切り返す。完璧な主婦だった母は笑い、受け入れた▲ドキュメンタリー映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」の信友さんがかつて本紙連載につづった。介護した父はどの言動も尊重した。「お母さんが一番不安なんじゃけんの」▲介護現場の取材で得た学びと重なった。介護福祉士がお年寄りの経歴や趣味を深く尋ね、介助や接し方に生かしていた。目からうろこだった。その人らしさまで奪われるわけではないのだと▲認知症になる人の政府推計が9年ぶりに公表された。2040年に584万人と、変わらない傾向を思い知る。一歩手前の軽度認知障害を含めると、65歳以上のおよそ3人に1人に上る▲「ぼけますから…」にもう一つ大事なことを教わった。家族だけで解決しようとするのは無理がある。介護保険サービスや近所の人の声かけで救われ、母らしい生き方を支えた。社会の準備はできているだろうか。

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