デフアスリートら「さまざまな当事者」たちが登壇 東京2025デフリンピック開催555日前スペシャルトークショー

手話で「5」を表した3人。左から朝原さん、中田さん、五十嵐さん。

ろう者(聴覚障害者)とコミュニケーションを

耳が聞こえないアスリートのための国際的な総合スポーツ大会、デフリンピックが2025年に東京で開催される。日本で初めてとなる、この大会の開幕を555日後に控えた5月9日(木)、「音のない世界と“つながる”」というテーマのトークイベントが都内で開催され、多彩なバックグラウンドを持つ3人が参加した。

まずはデフバレーボール女子日本代表、2017年にサムスン(トルコ)で行われたデフリンピック金メダリストの中田美緒さん(ろう者)。続いて東京2025デフリンピック応援アンバサダーを務める、かつて陸上競技短距離走で世界と戦った朝原宣治さん(聴者)。そして『しくじり家族』『聴こえない母に訊きにいく』などの作者で、聴覚障害を持つ両親の下で育った五十嵐大さん(コーダ/Children of Deaf Adults)。それぞれの立場から見た、ろう者と聴者のコミュニケーションに関する話題を皮切りに、和やかな雰囲気でトークは進んだ。

コミュニケーションが進まないことには、聴者に「ろう文化」を知ってもらうことはかなわない。全日本インカレ優勝を経験した東海大時代、そして正社員として働く現在の職場での苦悩や、少しずつ周囲に理解してもらったエピソードを紹介した中田さん。「初めての場所ではまず自分自身が『聞こえない』ことを伝えます。すると必ずみんな困った様子になりますが、書いてもらったり、口を大きく動かして話すなど、あまりこだわらずに目で見える方法をとってくれれば、と提案しています」と、距離を縮めるためのくふうを披露していた。

五十嵐さんは「同じ社会で生きている人間どうし。音声アプリもありますし、まずは怖がらないで接してみること。そして筆談だけではなく、簡単な手話の単語を覚えてほしいです。手話は言語なので難しいですが、会話ができると信頼してもらえます」と、ろう者に寄り添うための心構えを述べた。

大勢が詰め掛けたイベント会場

地元開催の大舞台をきっかけとした変化に期待

東京2025デフリンピックは、開催100年目の記念大会となる。「聴こえない子どもたちのロールモデルになりたいと思っています」という中田さんは「オリンピックやパラリンピックに比べると知名度は低いため、もっと知ってもらって、皆さんに応援してもらうことは大事。ですが、大会が終わったあとで、これをきっかけに社会の見方が変わってくることもあると思います。大会後もつながりを広めてもらえたら。そういうところに期待しています」と話した。

2007年に開催された世界陸上の大阪大会では「(自分以外の)多くの選手が気負い過ぎて失敗しました(笑)」と、地元の大舞台での思い出を語ったのは朝原さん。「応援には素直に感謝して、そのパワーを自分の力にし、楽しんでやってほしいです」と、中田さんらへエールを送った。

五十嵐さんは「大会は多くの人に知ってもらうきっかけになりますが、『知って、終わる』という歴史が繰り返されてきました。忘れられても、現実世界にはろう者の方々が生きています。ろう者に優しい環境だろうか? と考えてみるなど、少しずつ変わっていければ、その先にマイノリティーの方も生きやすい町ができるはずです」と、“知って、変わる”人が増えることに対する期待を述べていた。

大会は来年11月に開幕。また今年6月には、沖縄を舞台としたデフバレーボール世界選手権の開催が迫っており、こちらも熱戦が期待されている。

コミュニケーションが大きなテーマの一つとなった

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