歌いたい、もう一度 高橋さん(青森県おいらせ町)震災で遠のいた夢 13年ぶりにライブ

13年ぶりに生演奏のステージで歌う高橋さん
大勢の家族連れらでにぎわう会場
多くのハンドメード作品も並んだ会場。ステージでは多彩なパフォーマンスが繰り広げられた。
ステージ上でライブを披露する高橋さん(左端)とバンドメンバー
ステージの催しに、子どもたちの目もくぎ付け

 かつてプロの歌手を目指し、仙台市で音楽活動に情熱を傾けていた青森県おいらせ町出身の高橋恵里さん(37)は、2011年3月の東日本大震災を機に音楽から遠ざかった。8年前に戻った故郷で子育てに追われる日々。生活は充実していた。それでも、くすぶっていた思いがあった。もう一度、人前で歌いたい-。自身が仲間と共につくり上げたイベントで4日、13年ぶりに生演奏でのライブに臨んだ。

 小さい頃から歌うのが好きだった高橋さん。「学校から帰ったら(女性グループ)SPEEDの曲を流して歌うのが日課でした」。千葉学園高校(八戸市)を卒業して就職のため仙台へ。それまで本格的に音楽に取り組んでいたわけではなかったが、街中でボーカル募集のチラシを見かけ、社会人バンドに顔を出すようになった。

 次第にのめり込み、いつしかプロデビューの夢を本気で追いかけるように。月1、2回のライブをこなし、音楽事務所の関係者から評価も得て手応えはあった。東日本大震災に遭ったのは、そんな時だった。

 高橋さんは2週間にわたる避難生活を強いられた。バンドを組んでいた他の4人のメンバーも、それぞれ仕事や家庭があった。練習どころではなくバンドは消滅。高橋さんは結婚し16年、出産を機に故郷のおいらせ町に帰ってきた。

 子育ての中でも「やりたいことをしたい」と、手作り雑貨の販売や、フォトスタジオの経営に携わる日々を過ごすうち、仲間の輪が広がっていった。イベントを企画したいと、飲食店の屋台やステージの催しを楽しめる家族向けの「おいらせグリーン」を22年、町の下田公園で初めて開いた。

 行政の補助金などに頼らずスタートした催しは盛況で、昨年は開催2日間で8千人以上を呼び込んだ。過去2回は運営に徹していた高橋さんが、自らステージに上がろうと決めたのは年が明けてすぐの頃。「イベントをずっと続けていきたい」「町をもっと盛り上げたい」。さまざまな思いから、八戸市などに住む仲間に声をかけ、6人編成のバンドを組んだ。

 出番はイベント初日の4日。「3曲しか持ってきていませんが、魂込めてやります」と高橋さんが声を張り上げる。男性ボーカルのロックバンドのコピー。長男の空咲日(あさひ)君(10)や、かつての仙台のバンドメンバーも見守る中、駆け抜けるように激しい音を奏でていく。緊張より懐かしさが勝ったというステージを終えると「最高です」と一言。笑顔を見せた。

 このステージも呼び水となってイベントは2日間、盛り上がったが、来場者は昨年より少ない約7千人だった。来場1万人超えも目標の一つだ。

 「おいらせグリーン」の名前の由来は、下田公園の緑の美しさ。仙台に出る前は分からなかった町の良さを、今はたくさん知っている。歌手としてのプロデビューはならなかった。それでも「人を楽しませたい」という思いは変わらない。地域に根差しながら、音楽を続けていく。

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