42人犠牲の信楽列車事故で追悼法要 事故から33年、風化する記憶 JR西の社長ら献花

事故現場近くの慰霊碑前で営まれた追悼法要。列車が警笛を鳴らして通過した(14日午前10時38分、滋賀県甲賀市信楽町黄瀬)

 信楽高原鉄道(SKR)とJR西日本の列車が正面衝突し、42人が犠牲になった事故から33年となった14日、犠牲者の追悼法要が滋賀県甲賀市信楽町黄瀬の慰霊碑前で営まれた。訪れた遺族は1人で、SKRには当時を知る従業員がいなくなるなど、記憶の風化が課題となっている。

 法要は午前10時半から始まり、鉄道関係者のほか、三日月大造知事ら自治体関係者ら19人が参列した。黙とうのあと、遺族や両社長、岩永裕貴市長らが献花し犠牲者に祈りをささげ、安全運行を誓った。事故発生時刻に近い午前10時37分ごろ、僧侶の読経の中、SKRの列車が警笛を鳴らして通り過ぎた。

 事故は、1991年5月14日に発生した。SKRの普通列車と、同町での世界陶芸祭の開催に合わせてSKRの線路に乗り入れたJR西の臨時列車が正面衝突し、乗客ら42人が死亡し、614人が負傷した。

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