【世を去った初代王】『太宗 イ・バンウォン』で巨星「李成桂」の人生が終焉した!

テレビ東京の韓流プレミアで放送中の『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』は、5月14日の第28話で、キム・ヨンチョルが扮する李成桂(イ・ソンゲ)が亡くなった。チュ・サンウクが演じる李芳遠(イ・バンウォン)と壮絶な親子対決を繰り広げた末に、最後は和解して天寿を全うしたのである。

彼の人生は本当に波乱万丈であった。もともとは高麗(コリョ)王朝の武将だ。異民族や倭寇との戦いで名を馳せ、大将軍となった。1388年、高麗王朝は中国大陸の明との領土問題に直面。高麗王は「明を征伐する」と宣言し、李成桂が司令官に任命された。

しかし、彼は出陣した後に引き返し、逆に都の開京(ケギョン)を攻めた。その戦いに勝利して、李成桂は最大の実力者になった。そして、1392年についに朝鮮王朝を創設して初代王の太祖(テジョ)となったのだ。

彼は高麗王朝の旧態依然とした制度を改めて、現実主義に基づく新しい政策を採用した。しかし、せっかく国王になった後は後継者選びに失敗し、王朝は内紛によって揺れ動くことになる。

というのは、李成桂が神徳(シンドク)王后が産んだ八男の李芳碩(イ・バンソク)を世子(国王の後継者)に指名したのだ。結果として、李成桂の息子たちによる「骨肉の争い」が勃発。五男の李芳遠が異母弟の李芳碩を殺し、政権を掌握した。

やむなく李成桂は故郷に帰って隠棲し、弱い立場へと追いやられた。以後はきわめて不本意な晩年を過ごすことになった。

画像=KBS

李芳遠を高く評価した李成桂

3代王となった李芳遠は和解を求め、李成桂の故郷に使者を何度も送った。しかし、李成桂がその使者たちを次々と殺してしまった。親子は再び険悪な関係となったが、後に李成桂が李芳遠を許して、親子の葛藤もなくなった。その末に、李成桂は1408年に息を引き取った。享年は73歳であった。

『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』でも、李成桂が最後に李芳遠のことを認めて高く評価していた。その後に彼の人生の終焉が堂々と描かれていた。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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