災害時の医療支援は必ずしも美談ばかりではない【クスリ社会を正しく暮らす】

強い使命感が時に悪い方向に作用するケースも…(震災後の輪島市内の様子)/(C)日刊ゲンダイ

【クスリ社会を正しく暮らす】

今年2月、災害医療チームの一員として能登半島地震の被災地に入りました。災害において支援に入った方を悪く言う報道はほとんど見かけませんが、必ずしも美談ばかりではありません。私自身、災害医療に関する知識は十分ではないため、「あの時、このようにすればもっとよかったのではないか」などと考えることがあります。

支援に入る医療者の中には強い使命感を持っている方も多くいます。東日本大震災の支援に入った時の私がまさにそうでした。アドレナリンがドバドバ出ていたのでしょう、24時間不眠不休でも活動できそうに感じていました。しかし、活動は16時終了で派遣場所から引き揚げというスケジュールが組まれ、「もっと活動していたい、役に立ちたい」と感じていました。

そこで、宿泊場所に帰ってからもできることを探し、現場のマニュアルを作るなど夜間まで活動していました。当時はまだ若かったので撤収するまで体力がもったのですが、帰ってからドッと疲れが出てしまいました。本来、業務に大きな支障が出てはいけないのに、ひどく疲れてしまっていたのです。

その時の教訓から、今回は無理せず活動しようと臨みました。手持ちの睡眠導入剤も活用して無理にでもしっかり休んで最後まで活動することを優先しました。おかげで派遣から戻った後もしっかり仕事をすることができました。

それでも帰った直後は“災害時モード”になっていたのか、いつもより速い判断と行動、口調も厳しめとなっていたように思います。体が活性化しているのか、派遣後一定期間は腰痛が消えていましたし、花粉症の症状も改善していました。不思議です。

じつは強い使命感が悪い方向に作用するケースもあります。褥瘡などの患者さんに対し、一般的には継続できないような特殊な治療を行うなどもあったと聞いています。スポットで支援に入った医療者は、その地域で継続的にできる医療を考えながら活動する必要があるのです。

私も現地では周囲の方々にいろいろとご迷惑をかけたこともあったと思います。もっと勉強していれば……といった思いは、災害時だからというわけではなく平時でも感じることです。医療者はいざという時に備えて、平時から努力しておく必要があるのです。

(荒川隆之/薬剤師)

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