月面基地で宇宙飛行士が健康を保つ方法は「サーカス」が教えてくれる?

重力が地球の約6分の1であるため、地球と同じようには運動できない「月環境」。米国や中国が独自に月面基地の建設および宇宙飛行士の滞在を計画するなか、月面基地での生活で宇宙飛行士が健康を保つ方法は、思わぬ分野から示唆を与えられるかもしれません。

イタリア・ミラノ大学のAlberto E. Minetti教授が率いる研究グループは、月の低重力環境で健康を維持するために、「ウォール・オブ・デス(死の壁)」と呼ばれるサーカスの曲芸を模した方法を提案しました。地上のようにオートバイの動力を借りなくても、月環境であれば円筒の側面を自力で水平移動できるのだといいます。

【▲ アルテミス計画の一環として建設されるベースキャンプ(拠点)の想像図(Credit: NASA)】

■低重力環境が人体に及ぼす影響

アメリカ航空宇宙局(NASA)が主導する有人月探査計画「アルテミス」では、月の南極にベースキャンプ(拠点)を設置し、宇宙飛行士が1回のミッションで1週間程度滞在することが目標として掲げられています。また、中国国家航天局(CNSA)も2024年4月25日に、月面基地「国際月面研究ステーション(International Lunar Research Station: ILRS)」を紹介するデモ動画を公開するなど、世界各国が月環境で人類が滞在するプランを着々と進めています。

一方、月面は重力が地球の約6分の1しかない低重力環境です。研究グループによると、筋肉の萎縮や骨からカルシウム成分が減少する「脱灰」、心肺機能の低下、身体の姿勢や動作をつかさどる神経制御の悪化が微小重力環境ないし低重力環境下で起きることが判明しているものの、解決案を提示できていない状況にあるといいます。

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■宇宙飛行士が人工重力を「作り出す」

研究グループは、健康被害を個別に対策するのではなく、全身運動を通じて宇宙飛行士の健康を促進する方法を提案しています。しかし、月の低重力環境では人体の力学的なバランスが乱れるため、地球上でのランニングやウォーキングと同様の運動を行うのは困難であり、高負荷なトレーニングの実施が制限されるのだといいます。

そこで研究グループが注目した装置が「遠心機」です。遠心機は回転運動を利用して遠心力を発生させることで疑似的な重力を作り出し、筋肉や骨の量の維持に必要な身体への負荷をかけることができます。ただし、巨大な遠心機を用いて月面で人工重力を発生させるには大量の電気を必要とするため、現実的ではないといいます。

代替案として研究グループが提示するのは、曲芸師がオートバイにまたがって円筒の側壁を走行する「ウォール・オブ・デス」というサーカスの曲芸を応用した方法です。オートバイの動力が遠心力を発生させるため、地面に対して水平方向に周回するような特殊な走行を可能にしています。この曲芸を月環境で応用すれば、宇宙飛行士が壁を走ることで遠心力を自発的に生み出し、経済的かつ効果的に身体に負荷をかけられるのだといいます。

【▲ 「ウォール・オブ・デス」を実演する曲芸師(Credit: By SeaDave from Fairlie, Scotland – Owner of the Wall of Death, in his family for 80 years.Uploaded by MaybeMaybeMaybe, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=22817835 )】

研究グループは、屋根を取り除いた直径10m・高さ5mの円筒を用意し、高さ36mのクレーンからバンジージャンプ用のゴムで被験者を吊るす実験装置を作成しました。この装置により、被験者の体重が月面のように地球上の6分の1に設定される環境が再現されました。「ウォール・オブ・デス」を試みた被験者は水平に走るコツをすぐにつかみ、秒速5.4〜6.5mの範囲で走り出すことに成功しました。また、安全にペースを落とし、側壁から床に怪我無く着地することもできたようです。

【▲ ウォール・オブ・デス用の装置から屋根を取り去ったもの(左下図)。被験者はクレーンからバンジージャンプ用のゴムで吊るされて実験に臨む(右下図)。(Credit: A. E. Minetti, et al.)】
【▲ 円筒の側面を走行する被験者(Credit: A. E. Minetti, et al.)】

研究グループによれば、地球上のようなランニングは不可能であるものの、ウォール・オブ・デスを応用した装置なら短時間でランニングに相当する効果が得られ、心肺機能の強化や骨塩量(※骨に含まれるミネラルの量)の維持に寄与することが示されたといいます。ただし、今回の研究では被験者が2人と標本数が小さいことに加えて、特殊な環境での実験となったため、運動学的なデータが不十分のようです。研究グループは追加の研究が必要であることを認識しつつも、今回の成果に自信をもっていると結論付けています。

Source

  • Universe Today – Lunar Explorers Could Run to Create Artificial Gravity for Themselves
  • Space.com – China unveils video of its moon base plans, which weirdly includes a NASA space shuttle
  • NASA – NASA’s Lunar Exploration Program Overview
  • CNSA – International lunar Research Station
  • A. E. Minetti, F. Luciano, et al. – Horizontal running inside circular walls of Moon settlements: a comprehensive countermeasure for low-gravity deconditioning?

文/Misato Kadono 編集/sorae編集部

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