スイスのホテルスクールの1日に密着

EHLホスピタリティ・ビジネススクールは1975年に現在のキャンパスに移って以来、3万人を超える卒業生を輩出してきた (KEYSTONE/© KEYSTONE / PETER KLAUNZER)

時計のような正確さを誇る国にふさわしく、スイスのホテル学校では高級ホテルに求められる厳しいホスピタリティ基準を学生に指導している。

ローザンヌ郊外のおしゃれなレストランで、カンヌ出身の若い女性がシャンパン「ローラン・ペリエ」の キュヴェ・ロゼを開栓しようとしている。アルプスをバックにレマン湖を望むダイニングルームのど真ん中でその様子を見つめているのは、講師のエリック・イウンカー氏。その眉毛は生まれつき吊り上がっているように見える。

ボトルから勢いよく空気が抜けていく瞬間、聞こえてきたのは「ポン」という音ではなく、SF映画に登場する宇宙船が出すような「シューッ」という音だった。「すみません、音をたてないようにしたんですが」。19歳のキアラ・ドズネさんはぽっと顔を赤らめ、私のグラスにシャンパンを注いだ。

リネンのテーブルクロスと同じくらい丁寧にアイロンがけされたシャツに赤いネクタイを締めたドズネさんは、バーで働いていたことがあり、シャンパンを注ぐのは初めてではない。「でもここでは基準がずっと高いんです」と言いながら、氷の入ったクーラーにそっとボトルを戻した。

私が昼食を取ったのは「ル・ベルソー・デ・サンズ(Le Berceau des Sens)」。入店するのに学生食堂を通らなければならないミシュランの星付きレストランは間違いなくここだけだろう。スイスのエリート大学「EHLホスピタリティ・ビジネススクール」は、旧称「エコール・オトゥリエール・ド・ローザンヌ」の方がよく知られている。世界有数の高級ホテルの総支配人も輩出してきた。

キッチンの通路の両側で力量を試されているドズネさんら学生たちは、4年間の国際ホスピタリティ・マネジメント課程に入学してちょうど2週間になる。宿泊費を除いて17万7050フラン(約3000万円)の学費がかかることを踏まえると、学生の大半は恵まれた環境で育ってきたと言える。だが1年生の間はワインの注ぎ方からポーチドエッグの作り方、トイレを五つ星レベルに磨き上げる技術など、実務をみっちり仕込まれる。

「彼らは客室係になるために訓練を受けているわけではありませんが、最高水準の清掃がいかに大切か、そこにどんな原則があるかを理解しなければなりません」。こう話すジュリアン・サイモン氏は2013年にEHLに入る前、ある大ホテルで客室部門を運営していた。「そして学生のなかにはフーバー製の掃除機に触れたことさえない人もいる、ということを念頭に置く必要があります」

サイモン氏はキャンパス内の宿泊所の廊下で、クリップボードを構えて立っていた。ぴったりした白いポロシャツを着た新入生たちが、クラスメイトの部屋の片付け・掃除を競っている。先週初めてモップを目にしたというパリ出身のジャスティン・ルットさん(18)は、「一番大変なのはワックスがけと排水溝に溜まった髪の毛です」と話す。

私と会話している最中に、サイモン氏は白いクローゼットにうっすらと残る指紋を発見した。だが同氏によれば、真価が問われるのはベッド下のスペースだ。サイモン氏が鷹の目の持ち主であると熟知している友人の経営するホテルに泊まった時、サイモン氏はベッド下に小さな紙きれが落ちているのを見て「しめた!」と思ったと語る。「それを引っ張り出してみると、こう書いてありました…『はい、ベッド下も掃除しましたよ』」

廊下に置かれた派手なプラスチック製の清掃カートを除けば、EHLで行われる授業の多くは1893年の創立以来ほとんど変わっていない。この年、スイスのホテル経営者の先駆者ジャック・チュミがローザンヌのオテル・アングレテールの一室で世界初のホスピタリティ学校を始めた。ビクトリア王朝のアルプス観光ブーム最盛期にあって、最高品質の職業訓練が求められていたためだ。初代学生27人は、療養所のような寮に寝泊まりしていた。

初期の授業はカリグラフィーや語学、数学、観光地理などの座学と、リネンのアイロンがけや野菜の栽培、銀細工の巨大なトレイを二階に運ぶ技術など、ホテルでの実習で構成されていた。1903年に自前のキャンパスに移転し、第二次大戦後に繁栄を遂げた。

1975年にはローザンヌ北端でレマン湖を望む元農場にキャンパスを移した。以来、卒業生の数は延べ3万人を超える。現在は3つのキャンパス(2013年にスイス東部パッスークにあった小規模ホスピタリティ大学を買収し、2021年にシンガポールに分校を開設)で126カ国から4000人超の学生が在籍する。

ローザンヌキャンパスは、堅苦しいホテル学校というよりも米スタンフォード大学のような雰囲気を醸す。ほとんどは真新しい施設だ。約3億ドルを投じて2倍以上の規模に拡張されたキャンパスは2022年にオープン。広々とした新築の建物と、あらゆるシェフの羨望の的となりそうな研修用キッチンが建てられた。その間には、復元・文化財登録された18世紀の納屋がたたずむ。

学生たちはデザイナーが手掛けた服を身にまとい、革製のブリーフケースやハンドバッグを握りしめ、テニスコートの上のテラスで太陽の下で電子タバコに興じる。これだけ多くの人が背広の下にカシミアのタートルネックを着ているのを見たことがない。最近、15ページに上るドレスコードからネクタイの着用要件が姿を消したが、それでもロンドンのメイフェア地区にある多くのクラブよりも厳しい。

ネクタイにこだわり完璧なウィンザー・ノットを結んでいるマーカス・ヴェンジン氏は、セミナールームでエアロスミスを聴いていた。EHLグループの最高経営責任者(CEO)を務めるこの人物は、大学の近代化を象徴する存在でもある。2022年、大学名の頭に「ホスピタリティ・ビジネススクール」を加えてキャンパスが拡張された直後に着任した。

かつてミラノで経営学教授や起業家として働いていたヴェンジン氏は、EHL卒業生の中でそのままホスピタリティ業界に就職する人は半分にも満たないと話す。「関連業界にも進みやすくなるよう、一通りの技能を身に着けることが重要だ」

高級ホスピタリティ文化はローザンヌの地で育まれてきたとされる。現在は複数の業界に変革をもたらしており、EHLの教職員はホテルとは無縁の企画で相談を受けることが多いとヴェンジン氏は話す。例えばある高級ジュエリーブランドは、店舗の外に長蛇の列が作られることが優良顧客を遠ざけているとみて、コンシェルジュ付き・予約制のバーとラウンジを設置した。中国の私立産院は、裕福な産婦向けの非医療サービスを改善したいとEHLに問い合わせた。

顧客を宿泊客のようにもてなすプライベートバンクも増えている(ロスチャイルド・アンド・コー・チューリヒのローラン・ガニュバンCEOもEHL卒業生で、子息の1人は現在就学中)。ヴェンジン氏は「『エクスペリエンス・エコノミー(経験経済)』から『ホスピタリティ・エコノミー(おもてなし経済)』にどう移行していくのか、という本を書くつもりです」と話す。キャンパス内で採用活動を行える「EHLアライアンス」には数十社が加盟する。加フォーシーズンズや仏アコー、米ハイアットだけでなく、ベルギーの飲料最大手アンハイザー・ブッシュ(AB)インベブやスイスの小売大手ミグロも名を連ねる。私が訪ねた翌日には、ケンタッキーフライドチキン(KFC)の幹部が「驚きのサクサク感を届ける」ための会議に出席すべくキャンパスに来ていた。

4年生のマックス・ワッツさん(21)は、見た目も声も高級ホテルの経営者向きだ。落ち着きがあり上品な彼もネクタイマニアで、ネイビーのダブルブレストスーツを着こなしている。エセックス出身で、父親はトラック修理業で一財を成した。子どものころ、家族旅行で泊まった高級ホテルの裏側のとりこになった。

ワッツさんはEHLでスコットランド高原にある5ツ星ホテル「インバーロッキー・キャッスル」など必要なインターンシップをこなした。清掃係や副料理長、ミクソロジスト(訳注:野菜やハーブなどを使ってカクテルを創作する人)として優秀な成績を収めた(別の教室で、午前10時から蒸留酒のブラインドテイスティングを見学した。学生たちの机に置かれた銀の唾壺には違和感しかなかった)。だが今は不動産金融を志望する。「ホスピタリティの定義は人々の世話をすることだ。それが必要ない仕事は思い浮かばない」

EHLの設立目的とされるような高級ホテルで働き、あるいは経営者となることを今も夢見る学生に出会うと、安心感さえ覚える。ピカピカの新しいキッチンの1つではジェルヴェ・ミランドゥ・ンレムヴォさん(22)が数日後に控えたコンテストに向け、西アフリカ料理のピーナッツ・シチュー「マーフェ」をアレンジした料理を試作していた。パリで育ち、一流レストランで下働きを積んできたミランドゥ・ンレムヴォさんは、ローザンヌに5カ月間滞在している。EHLの短期・大学院課程の1つである調理・レストラン経営資格を取得(費用は約2万8000ドル)し、両親が祖国コンゴで営む小さなホテルチェーンを拡大するつもりだ。「父のレストランをどうしても手伝いたいのです」

ローマ出身の4年生、ジュリア・パローニさん(22)の夢は総支配人になることだ。「私にはホスピタリティへのエネルギーと情熱の血が流れています」。旅行も大好きで、総支配人は動じないという一般認識に魅了されている。

「『プリティ・ウーマン』に憧れてこの仕事を目指す人は多いです」。子どもの頃、1990年の映画を観たヴィンセント・ビリヤードさんはこう話す。登場人物の1人、ビバリーヒルズホテルの支配人バーニー・トンプソンは洞察力と思慮深さを兼ね備える。ビリヤードさんも同じ仕事を目指し、2002年にEHLを卒業した。現在はパリの著名ホテル「オテル・ドゥ・クリヨン ローズウッド・ホテル」を経営する。「プリティ・ウーマン」の時代に比べるとホテル支配人の仕事は企業的・戦略的な面が増したと話すビリヤードさんだが、それでも長い時間をロビーでの接客に充てている。

今最も有名な架空の総支配人と言えば、米ドラマシリーズ「ホワイト・ロータス 諸事情だらけのリゾート」の第1シーズンに出てくるアーモンド支配人だろう。ビリヤードさんは、この不運な支配人の過去にEHLは登場しないとみている。「まだ一部しか観ていないが、この支配人は誤った判断ばかりしていると言っていいでしょう」と笑った。

ル・ベルソー・デ・サンズに話を戻すと、少なくとも素人目にはここのサービスは滞りない。ギリシャ人学生のカタリナ・スタヴリダキさんが私たちの注文を受けた。誰が何を注文したか覚えておくため、最も壁に近い席の客から時計回りに番号を振ってメモ帳に書きつけた。私は63度で1時間近く煮込んだ「パーフェクト・エッグ」と、「キャロット・シンフォニー」を添えた牛ホホ肉を注文した。

テーブルにサーブされた牛肉に、何ら異常は見つからなかった。だが次の瞬間、私がナイフとフォークを持ち上げる数秒間を置いて、眉の吊り上がったエリック・イウンカー氏がメンフクロウのごとく離れた場所からさっと近づき、私の皿を0.5センチ内側に移動させた。皿の前端はテーブルの端にぴったり揃った。スタヴリダキさんはその動きを観察し、心の中でメモをとった。

Copyright The Financial Times Limited 2024

筆者のSimon Usborne記者はEHLホスピタリティ・ビジネススクールのゲストだった。

英語からの翻訳:ムートゥ朋子、校正:宇田薫

© swissinfo.ch