【アメリカの聖女から世界一の悪女へ】 ジャクリーン・ケネディの特権階級すぎる人生

画像:ジャクリーン・オナシス(ジャッキー) public domain

ジャクリーン・オナシス(ジャッキー)は、20世紀で最も有名な女性の一人と言っていいかもしれません。

カリスマ性溢れる2人の男性と結婚したことで、彼女は世界中の注目を集め、その人生はドラマチックなものとなりました。

ケネディ大統領との結婚

最初の夫は、若くしてアメリカの大統領となったジョン・F・ケネディです。ケネディ大統領は、その若さとハンサムな容姿、そして正義感溢れるイメージで、アメリカ国民から熱狂的な支持を集めていました。

一方のジャッキーにおいても、上流階級出身の美しく教養ある若さによって、一躍ファーストレディとして高い注目を集めました。洗練された雰囲気と知性、お嬢様らしい上品さだけでなく、新聞記者をしていたという経歴も重なり、知的でエレガントな女性としてアメリカ国民を魅了しました。

ケネディ大統領とジャッキーの組み合わせは、まさにアメリカの理想を体現しているかのように見えました。美男美女のカップルとして、童話の王子様とお姫様のように多くの人々が抱く憧れを刺激したのです。

しかし1963年11月22日、テキサス州ダラスでの悲劇的な出来事は、この完璧なカップルに突然の終わりをもたらしました。

ケネディ大統領の暗殺

その日、ケネディ大統領はダラスでパレードに参加していました。沿道に詰めかけた人々の歓声に手を振りながら応える大統領夫妻。しかし突然、銃声が響き渡りました。ジャッキーが不思議そうな顔で夫を見やると、大統領の頭がぐらりと揺れます。

ジャッキーの視線の先には、大統領暗殺の衝撃的な瞬間があり、初の衛星中継を通じて日本にも届けられました。

鮮血に染まったピンクのスーツを着たジャッキーが、茫然と夫の遺体を見つめる映像はアメリカ国民の胸に深く刻み込まれました。

この瞬間からジャッキーは「アメリカの聖女」として崇められるようになります。

彼女が喪服姿で遺児であるジョンとキャロラインを守る姿は、悲しみと美しさを併せ持ち、世界のマスコミを魅了しました。美しい悲劇のヒロインとして、ジャッキーは女神のような存在となったのです。

画像:1963年11月22日、ダラスに到着した際の大統領夫妻。ジャクリーンはピンクのスーツを着ている public domain

予想外の再婚

しかしジャッキーがアメリカの国民的アイコンとなり、歴史的ヒロインの道を歩み始めた矢先、彼女は再び世界中に衝撃を与える行動を取ります。

年上で成金と噂されるギリシャの海運王、アリストテレス・オナシスとの再婚を発表したのです。

この結婚はアメリカ国民を驚愕させました。オナシスとの再婚によって、悲劇のヒロインとしてのイメージが大きく変わることになったのです。

ジャッキーのお金に対する貪欲さや、ケネディ家の裏側が暴露され、彼女は「アメリカの聖女」から「世界一の悪女」と非難されるようになります。

明らかになるケネディ家の実態

ケネディ家の男たちは女性関係が派手で、女好きの一族として知られていました。またジャッキー自身も、かなりの浪費家だったことが明らかになりました。

ジャッキーが最高級の洋服や家具を好きなだけ買いまくった請求書は、大統領夫人時代にはホワイトハウスに、未亡人になってからはケネディ家に送られていました。ケネディ大統領もあまりの浪費癖に音を上げていたといわれています。

さらに正義と清潔の象徴であったケネディ大統領自身も、実際には病的なほど女性関係が派手だったことが明らかになりました。ケネディ家の男たちは、父親のジョセフを筆頭にまさに「英雄色を好む」といった気風がありました。仕事も遊びも精力的にこなす一族だったのです。

ケネディ一族は揃いも揃って女性にモテました。お金も権力もある上にハンサムだったケネディ大統領は、その中でも特に女性関係が派手だったのです。

ジャッキーが大統領の浮気を知らなかったわけではありません。しかし彼女は夫を責めることもなく、離婚を考えることもありませんでした。

彼らのような特権階級の夫婦観は、昔のヨーロッパ貴族の感覚に似ていたと考えられます。

結婚は互いの社会的立場を守るもの、「家庭さえ壊さなければ、遊びの恋愛は自由」と考えていたのかもしれません。

傷心のジャッキーを慰めたオナシス

画像:アリストテレス・オナシス。傷心のジャッキーを慰め続けた public domain

ジャッキーとオナシスの出会いは1958年にさかのぼります。当時はまだ上院議員だったケネディ夫妻を、オナシスは自身の豪華ヨット、クリスティナ号に招待しました。

それから5年後、ジャッキーは3人目の子供を早産で失い、悲しみに暮れていました。オナシスはジャッキーの妹と親しかったこともあり、彼女をギリシャで静養させるため招待しました。

ジャッキーは夫・ケネディの反対を押し切って招待を受けました。オナシスの手厚いもてなしと青いギリシャの海は、ジャッキーの心を癒しました。

そしてオナシスはケネディ大統領の暗殺を知ると、すぐにホワイトハウスに駆けつけ、ジャッキーを慰めました。自身の専用ジェット機を彼女に自由に使わせるなど、きめ細かな心配りを続けたのです。

オナシスとの結婚によってジャッキーは、信じられないほどの富に守られる生活を手に入れました。「女神」や「聖母」のイメージに疲れを感じていた彼女は、自分の望む優雅な生活を手に入れるためなら、全世界を敵に回しても構わないと覚悟していたのかもしれません。

ジャッキーとオナシスの結婚は、オナシスの家族を悲しませることになりました。オナシスの娘クリスティナは失望し、息子アレキサンダーは飛行機事故で亡くなってしまいました。オナシスの前妻で2人の母親であるティナも、謎めいた急死を遂げてしまいます。

オナシスが1975年に亡くなった際、ジャッキーは遺された子供たちと共にアメリカで暮らしていました。娘のキャロラインは美しく成長し、ハンサムな息子のジョンは政界入りを狙っていたそうですが、1999年に飛行機事故で亡くなりました。

ケネディ家とオナシス家という、2つの名家で過ごしたジャッキーですが、その人生は光と闇の両面を持ち合わせ、また謎に満ちたものでした。

ジャッキーは自分の人生について多くを語らず、1994年に亡くなりました。その正体は今も多くの謎に包まれています。

参考文献:山崎洋子(1995)『歴史を騒がせた[悪女]たち』講談社

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