元近鉄・佐野慈紀氏 右腕切断後「やれることがあったんじゃないか」と痛感…「糖尿病は本当に怖い」心から訴え

「みんな、かがや毛~!」でインタビューを締めくくった佐野慈紀氏

頭髪の薄さから「ピッカリ投法」で人気を博し、近鉄、中日などでおもに中継ぎとして活躍した佐野慈紀氏。

4月30日に56歳の誕生日を迎えた佐野氏は、翌5月1日に、糖尿病による感染症が進行したため、右腕の切断手術を受けると、自身のオフィシャルブログ『佐野慈紀のピッカリブログ』で告白。このときは、手術への不安も吐露していた。

手術を終えた後の、7日のブログでは《皆さんからの温かいたくさんのメッセージに感激と感謝がやみません》と経過報告。

《今日初めて切った腕と対面しました。感想は短くなったなぁですね。痛みもなく順調なようです。受け入れようと思いつつもやっぱり観てみぬふり なかなか弱気なハゲオヤジです。まだまだ先は長いですが変わらず前を向いて 生きますね。健康第一 みんなかがや毛~!》

と、ユーモアをまじえて心境を吐露している。長年ともに戦ってきた右腕切断の手術から2週間。現在の心境や病気の経緯、そして今後の展望について話を聞いた。

――いろいろと大変だったと思います。手術そのものはうまくいったのでしょうか。

手術は成功で、新たな感染は見つかっていないから、今はとりあえずホッとしているかな。周りからはいろいろと心配されるけれども、僕自身はあっさりしていますよ。ただ、糖尿病患者の5年生存率は5~6割ということもあるし、僕は心臓弁膜症もあってその手術を今後しなければならないので、これで終わりというわけではないです。まあ、今回はいろいろと一気にきましたよ(笑)。

――最初に病気がわかったきっかけは何だったのでしょうか。

それまでは毎朝30~40分くらいウォーキングしていたのですが、足に痛みと腫れが出てきて、自分で勝手に足底筋膜炎だと思っていた。たまたま通っている病院に専門の先生が来る日があって、相談してみたら、先生の顔色が急に変わって。その場で「佐野さん、これ切るね」と言われて、足の中指を切断することになったんです。これが広がったら大変なことになるから、と。

その後も治療が結構長引いて、8~9カ月入院していたのかな。退院して、通院で足の治療を続けることになったんです。そして、その1週間後くらいに、普段通っている透析の病院で、「どうも心臓のあたりがチクッとするんですよ』と相談したら、レントゲンを撮ることになって。結果を見た先生からは、「これは大きな病院に行ったほうがいいですね」と告げられました。

それで再び元の病院で検査してもらったら、心臓弁膜症だとわかりました。じつは、その少し前につまずいて転んで手の指先を怪我し、小さなかさぶたが二つできていて全然治らなかった。そのことも相談して見てもらうと、「血流が悪くなっていて動脈硬化も進んでいるから、生きている部分の血流をよくしよう」ということでカテーテル治療をすることになりまして。そしたら、アナフィラキシー(全身性のアレルギー反応)が出てしまったんですね。もう死ぬかと思うくらい。

それで血流はよくなったんですけど、それによって今度は手の指先の感染が進んでしまったんです。心臓弁膜症と同時に治すことはできないということで、まずは感染症を治すことになり、指先をクリーニングしながら治療してもらいました。でも、感染のスピードに追いつかなかったみたいで、結局、右手の人差し指と中指を切断しました。切ったほうが今後のためにはいいと言われて。

――それでひとまずは感染を食い止めたと思ったら、まだ続きがあったのですね。

指を切った場所をさらに洗浄することになるんですけど、やっぱり洗浄が感染に追いつかなくなってしまって。それにその洗浄が激痛なんです。結局、前腕の半分くらいまで感染しているようだとわかって、先生にどうするのがベストかを聞いたら、腕を切るしかない、と。「あとはひじの下にするか上にするかの問題ですね」と言われました。

正直、腕をなくすのは……と思ったんですけど、洗浄するときの痛みに耐えられなくて。麻酔はするけど全然痛いんですよ。腕をなくすことは必ずしも受け入れられなかったんだけど、切ることにしました。これ以上感染を広げないため、最終的にひじの上まで切りました。指に近いほうは感染が残っている可能性があるので、ぎりぎりで切るよりは余裕をもって切ったほうが安心だろうということで。僕も何回も切るのは嫌だし、洗浄して痛い思いするのも嫌だから、「もう、まかせますわ。好きなところから切ってくれ」と(笑)。ただ、肩から切るのだけは嫌だな、と思った。まあなんとか、短いけど腕は残った。

指を切った後、腕を切らなければ、という話になるまで、2週間くらいだったかな。

――大きな要因としては、糖尿病があったのですか。

糖尿病の治療はしていました。透析もしていたし、インスリンも打っていて、状態としては末期でした。でも、数値はだいぶ安定していたんですよね。それで安心はしていたんだけど、やっぱり悪さをするんですね……。50歳過ぎたら、定期検診はやっておいたほうがいい。年に1回で良いから。あとは何か気になることがあったら、ついでに調べたほうがいいでしょうね。

それと大きかったのはストレスかな。自分ではストレスに強いと思っていたけど、人間、意外ともろいものだと思いました。野茂の件(*)でも、反感は全然なくて、自分のふがいなさと申し訳ない気持ちでいっぱいだったんです。ただ、仕事がなくなって、もう一度仕事を取ってこようと思って頑張っていたけど、やっぱりその時のストレスも病気の原因にはなっていると言われました。あの時、仕事はゼロになったので、知らないうちにストレスを感じていたんでしょうね。そのあと、心不全を4回もやってるんですよ。

でも今思えば、きちんと検査するきっかけはあったんですよね。最初に心不全になったときに、これは手術かもしれないと一度は言われたんですが、状態が緩和されてきたから様子を見ることになりました。その時にちゃんと調べておけば……。そのあと3回心不全になってますからね。今さらながら、もう少しやれることがあったんじゃないかなと。

誰のせいでもない。でもどうしても、ああだったんじゃないか、こうだったんじゃないかと考えてしまう。恨みつらみはないけれど、なんとかできたんじゃないかと考えてしまって、悔しい部分はありますね。

(*):野茂英雄氏が近鉄時代のチームメイトだった佐野氏に対し、貸付金の返済を求める裁判を起こし、2018年9月に勝訴した件

――(右投げ投手だった佐野さんの)右手、右足に症状が出ていることは、野球が関係した可能性はないのでしょうか。

今のところ何も聞いてないです。どうなんでしょうね……。トミージョン(ひじの靱帯の再建手術)もやっているし、もしかしたら何かあるかもしれないですね。

――昭和の選手は、プロだけでなくアマチュア時代も含め、それこそ小学生時代から利き腕を相当酷使されていますよね。

確かにそうですね(笑)。そういえば門田博光さんも糖尿病で足を切断したけど、あれだけ小さな体でホームランをたくさん打ったから、下半身を酷使したでしょう。関連性はあるかもしれない。肩やひじを手術した人は、糖尿病になったら気をつけなきゃいけないのかもしれないですね。それ今度、お医者さんに聞いてみます。

――手術することになって、周囲の反応はいかがでしたか。

みんな驚いてますね。そこまで悪かったのか、と。僕も言わなかったし。ブログを見て知ったという人がほとんどで、みんな本当に驚いていました。しばらく連絡とっていなかったような人からも、たくさん連絡が来ましたよ。だいぶ懐かしい人からも連絡がありました。

――NHKのニュースでも取り上げられました。

みたいですね。まだまだ僕もイケるわ(笑)。それはともかく、こうして何十年ぶりでもいいので、生きているうちに連絡をもらえるのは嬉しいですね。人とのつながりみたいなものは、とても大事だと感じました。

それと、表舞台から引っ込んでしまうのも、活力を失う原因になったんじゃないかと思うんですよね。今回、ブログに書いて表に出ることによって、同じような病気の人からもたくさん反響があり、「励みになりました」とか、「佐野さん頑張ってください」って言ってくれる。僕のケースは、病気を甘く見ているとこうなるよ、という典型的な例ですから、もう少し発信していこうかと。

ただ、不摂生はしていなかったんですよ。体調管理には気をつけていた。それでも、悪くなってから(進行が)早かったのは、衝撃的でした。

――ウォーキングも日課だった。

毎朝していました。長いときは1時間くらい歩いていましたよ。仕事がないからできることはたくさんありました(笑)。トレーニングもやっていたし、なんとか健康になろうと思って努力していました。食生活の改善はなかなか、難しいところでしたけど。

――今後についてはどのように考えていますか。

まだ入院中なので、実際に生活がどうなるかはやってみないとわからないですね。退院して生活してみて、いろいろな不具合は出てくるのかなと思っています。こうなった以上、腹は決めています。要介護者になるのであれば、ヘルパーさんに頼ることも必要かなと思うし、頼るべきところは頼って行こうかなと。

あと展望としては、何か目標を持っておかないといけないなと思って、ブログに書いたように「左のピッカリ投法」が目標です。約束しますと言い切ったし、退院したらまずはそこから始めます。投げることは下半身を鍛えることですから、まずは下半身を鍛えて左で投げる体力をつけたいなと思っています。

――プロになるような人は、利き腕ではない腕で投げられる人も結構いますね。

その通りです。大塚晶則君(元近鉄など)なんて左で80mくらい投げられるようになったらしい。彼は根性の男です。僕もたまに左で投げていたから、30mくらいはなんとか届くかな。これをどうにか、マウンドからストライクを投げられるようにしたい。ボールがどこに行くかわからん、という状態でのピッカリ投法は格好悪いじゃないですか(笑)。帽子を飛ばしてしっかりストライクを投げられるところまで行って、はじめて成功ですからね。

――なかなか高い目標ですね。

高いですよ。それくらいの目標を持たないと。ちょっとふざけていますけど。もしかしたらどこかの球場の始球式に呼んでもらえるかもしれない。手術から2週間がたち、体調はだいぶ落ち着いてきました。昨日からリハビリも始まったんです。まだ歩くことからですけどね。そのほかにはやることがなくて、暇を持て余しています。

――最後に、読者へメッセージを。

絶対にお伝えしたいのは、糖尿病は、本当に怖いということです。大丈夫、大丈夫、と思っている時が、一番危険。この手術で学びました。皆さん、本当に気をつけてください。

それともう一つ。この騒動で少しだけ浸透したこの言葉を。みんな、かがや毛~!

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