異色の経歴の住職がお寺にプラネタリウムを作った!? 星空に込めた思いに玉袋筋太郎が迫る!

By GetNavi web編集部

〜玉袋筋太郎の万事往来
第31回 證願寺17代目住職・「プラネターリアム銀河座」館長・春日 了

全日本スナック連盟会長を務める“玉ちゃん”こと玉袋筋太郎が、新旧の日本文化の担い手に話を聞きに行く連載企画。第31回のゲストは、東京都葛飾区立石にある證願寺(しょうがんじ)の17代目住職で、境内に作ったプラネタリウム「プラネターリアム銀河座」の館長も勤める春日 了さん。かつては声楽家を目指してイタリア留学をしたという異色の経歴を持つ春日さんが、なぜプラネタリウムを始めたのか、謎多きキャリアに玉ちゃんが迫ります!

仏教を聞いてくれる環境を作ろうとプラネタリウムを作った

玉袋 お寺の境内にプラネタリウムがあるなんて驚きですが、始めたきっかけは何だったんですか。

春日 話せば長くなるんですが……。そもそも僕はお寺や坊主がダメなんですよ。喘息持ちなので、世の中から線香なんてなくなればいいと思っているぐらいで。

玉袋 じゃあ焼香のときも大変ですね。

春日 焼香や線香で声が出なくなっちゃう。一方で日本のお寺はヤバいという危機感もあって、一回お寺を出たんです。それでイタリア留学をして、新しい人生を始めようと思ったら、「チチキトク」ということで帰国したんです。要はハメられたんですよね。

玉袋 ハメられたって(笑)。

春日 父は帰国して2週間で死んじゃったので、葬儀などを済ませて、イタリアに帰りますって言ったら、ある檀家から、「あなたの人生だから好きにやっていいですけど、年を取ったお母さんと結婚をしてないお姉さんの二人では、今まで通りの生活ができません。こんなことは言いたくないけど、お坊さんがいないなら、内職しなきゃ生きていけませんよ。それじゃあ、かわいそうじゃありませんか?」と言われたんです。僕も若かったから、それはかわいそうだと思ったのが運の尽きですよ。今考えたら、帰ってこなきゃよかったです。そしたら今頃、イタリアで死んでいたかもしれないのに。

玉袋 それも運命ですよ。星のもとにね。

春日 それで住職をやらなきゃいけなくなったんですが、実際やってみたら、思っていた以上に仏教に興味がない人ばかりなんです。仏教に対する日本人の通性として、興味があるのは変わった人。大抵の人にとって、お寺は霊園で、先祖が眠るところだと思っているから、坊主がどういう人柄でも関係ない。話も聞かないし、仏教を勉強する気もない。僕は大学時代、真剣に仏教を学んだので、これじゃあ意味がないなと。だったら仏教を聞いてくれる環境を作ろうということで、プラネタリウムを作ったんです。

玉袋 ものすごい飛躍ですね。

春日 みんな聞いているフリをしている、素人でもそういう芝居をすると確信したのは、話をしているときに、1歳ぐらいの子がバタバタし始めて、近くにいたおばあさんが「バー!」ってやったんですよ。やっぱり聞いてないなと。でも、これが正直な気持ちなんだと。99%の人が、おばあさんのように聞いたフリをして早く終われと思っているんだろうなと感じて、これは話し方を変えるとか、興味深い話をするぐらいではどうにもならない。がらっと環境を変えて、集中せざるを得ない空間にしないと聞いてくれないんだと痛感したんです。

玉袋 その方法がプラネタリウムだったと。

春日 僕自身、子どもの頃を振り返って、そこの環境に行くと、集中することは何かと考えたらプラネタリウムだったんです。日が沈んで、だんだん暗くなって、星がチカチカして、最後に満天の星空で天の川になるというのを見ていると、しばし嫌なことも忘れることができたんです。

玉袋 小さい頃から星が好きだったんですね。

春日 もともと天文学者になろうと思っていましたからね。どうせ住職をやるなら、世の中に仏教を広めるなんてのは大げさだけど、少なくとも10分、15分は話を聞いてみようと思ってもらいたい。やむにやまれずで作った環境がプラネタリウムだったんです。それが1996年のことですが、今ほど寺離れが問題視されていなくて。今はお寺がカフェをやったり、坊主バーがあったりと、いろいろありますけど、それ以前のことでしたから。手短に話しても、これだけ長くなってしまうんです。

玉袋 いやいや、面白いですね。最初のプラネタリウム体験はいくつのときだったんですか。

春日 5歳です。2001年に閉館した、渋谷の「五島プラネタリウム」でした。天文少年が天文おじさんになっちゃいましたが……。

玉袋 東京の人は、五島プラネタリウムが最初って人が多いですよね。

春日 それしかなかったんですよ。その頃は大阪に一つ、東京に一つ、仙台に一つという時代で、行政だと杉並区立科学館や板橋区立教育科学館がありましたけどね。それが90年代になって一気に増え始めて、今は全国で300以上、東京にはうちも含めて24あるんです。

玉袋 俺は京王プラザホテルの向かいにあった淀橋第二幼稚園というところに通っていたんですが、学区内の小学校にプラネタリウムがあったんですよ。

春日 それは恵まれていますね。プラネタリウムのある高校はありますけど、小学校は珍しい。新宿は進んでいたんですね。

玉袋 そこで初めてプラネタリウムを見て、その後、親父に連れられて五島プラネタリウムに行きました。映画もそうなんですけどプラネタリウムって暗闇から入っていくじゃないですか。そうすると自然と集中できるんですよね。

春日 暗くなれば、寝ちゃうか集中するかですからね。

お寺の改築計画に合わせて、中古のプラネタリウム探しを開始

玉袋 プラネタリウムを作ると言っても、めちゃめちゃお金がかかるんじゃないですか?

春日 かかります。天文台が数百万だとすると、プラネタリウムは最低でも0が1個変わる。そんな大金を使う訳にはいきません。

玉袋 どうしたんですか?

春日 ちょうど改築計画がお寺の中であがって、そのときに8mのドームなら入るなと思ったんです。改築計画に合わせて、タダ同然のプラネタリウムを手に入れれば何とかなるということで全国を探してみたら、見つかるものなんですよね。

玉袋 そうなんですか!

春日 廃棄になったプラネタリウムの処理を会社の代わりに引き受けますって怪しいおじさんがいて、「300万円で売るけど、うちの傘下になってもらわないと困る」と言うんです(笑)。そうこうしているうちにペンタックスが初めてプラネタリウムを作ったという情報が入ってきて、担当者の鈴木さんという方とお話したら、「僕は作っただけなので、会社の人を紹介します」ということで、何度かお会いしました。

玉袋 それまで国産のプラネタリウムは、どこが作っていたんですか。

春日 コニカミノルタと五藤光学研究所というところです。世界的に見ても、国内に2社もプラネタリウムのメーカーがあるのは珍しいんです。それで3社目としてペンタックスが参入しようと、1億5000万円を投じて、1年半かけてプラネタリウムを作ったんです。だけど社長が交通事故で亡くなっちゃって、プラネタリウムは採算にならない、会社の負担になるからとやめちゃったんですよ。それで試作機がゴミになっちゃったんですよね。そういう状況を鈴木さんから聞いていたから、おそらく安価で譲ってもらえるんじゃないかと。

玉袋 プラネタリウムが欲しいことは伝えていたんですか。

春日 伝えていなかったです。「ちょうど安いプラネタリウムを探していたんですよ」と言っても絶対にくれないですから。でも、頭を使えば、金を使わなくて済むんですよね(笑)。葬式も結婚式もそうじゃないですか。

玉袋 確かに今はお葬式も、どんどんミニマムになっていますもんね。

春日 世の中が勉強しちゃったんですよ。昔はお布施にしても、「50万、100万とみんな払っているから」と言われるがまま払っていましたけど、コロナ禍になってお寺の方がアップアップしちゃって。

玉袋 確かにコロナ禍はお寺も大変だったわ。

春日 神社なんて、もっと大変ですよ。

玉袋 七五三とか初詣ぐらいですよね。

春日 話は逸れましたが、結果的にペンタックスからプラネタリウムを譲ってもらいました。

玉袋 長く続けているとメンテナンスも大変ですよね。

春日 最初は鈴木さんが来てやってくれたんですけど、80歳になったときに「私も年なので、そろそろ自分でやってください」と言われて、それからは自分でやっています。鈴木さん生きているのかなぁ……。生きていたら100歳を越えているはずですが。

玉袋 星になっているかもしれないですね(笑)。

プラネタリウムの最先端はドイツのカールツァイス

玉袋 世界的に見ると、プラネタリウムの機械はどこが最先端なんですか。

春日 ドイツのカールツァイスです。五島プラネタリウムにあった機械もカールツァイスでした。ベンツで考えてもらうと分かりやすいんですが、日本車みたいに余計な機能はないけど、耐久性があって、運転性に優れていて、25万キロ走っても中古車に出せる。実際、ドイツには25万キロ走った中古車がバンバン売っていましたから。ドイツは戦前から重工業国家だから、しっかりとしたコンセプトがあるんですよね。日本車なんて10年も経つと、高値で買ってくれないでしょう。

玉袋 今の日本車なんて5年サイクルですもんね。

春日 プラネタリウムも10年サイクルなんですが、カールツァイスは50年壊れないですからね。それどころか100年持ってもおかしくない。ちなみにプラネタリウムができたのは1923年なんですが、ちょうど去年、100周年を迎えて。

玉袋 全然知らなかった!

春日 1923年10月21日にカールツァイスがプラネタリウムの内覧会を開いて、その2年後に一般公開したんです。だから2023年から2025年はプラネタリウム100周年記念なんです。

玉袋 一般公開は万博とかですか?

春日 違います。発端はドイツ博物館が、星を見る装置が欲しいとカールツァイスに頼んだんです。でかい球体がゴロゴロ動いて、その中に何十人か観客を入れて、球体に穴が開いていて星が見えるという装置を構想したんですけど、そんなデカいのは無意味だから、幻灯機みたいに、真ん中から星を光で映すというのがカールツァイスのアイデアで。惑星の動きも、行ったり戻ったりするのを歯車で調整して、プラネタリウムとはプラネット(惑星)を映す機械だと。本来はそうだったんですけど、お星さまもあったほうが雰囲気あるよねっていうことで今のスタイルになったんです。

大学卒業後、テノール歌手を目指してイタリア留学

玉袋 先ほどイタリア留学したとおっしゃっていましたが、どういう経緯があったんですか?

春日 坊主はお寺の中にいるから話を聞いてもらえるけど、外に出たらどうにもならないと言われたことがあって。何か意見を言ったとしても本気で聞いてもらえない。だったら仏教関係以外の職業に就こうと持って、大学卒業後に声楽家を目指したんです。もともと声は良かったし、歌うのも好きだったし、テノール歌手になろうと。成功した声楽家の本しか読んでないから、城を買えたとか、ブドウ園を買えたとか、すごいことが書かれているんですよ。当時は情報もなかったから、知らないということはエネルギーになる。バカほど強いものはないですから、僕も成功したテノール歌手の一端になれるだろうって。まあ幼稚だったんですよ、案外、みんなその程度の志で始めちゃうんです。

玉袋 ドイツで声楽を勉強するにしても、お金はかかりますよね。

春日 お金を貯めて、私費留学しました。最初はドイツに行ったんですけど、ドイツ語を学ぶにもお金がない。だから月曜から木曜まで、NHKラジオ講座の基礎編を聞いて、片っ端から覚えて。そしたら半年でドイツ語の基礎をしゃべれるようになったんです。それでドイツに書類を提出したら、試験に受かって。高校と大学の卒業証明書と成績証明書を送ったら、学校に通えることになって、ちょろいなと思いました。

玉袋 大抵の人は、そんなにうまくいかないでしょうけどね。

春日 それでドイツに行って勉強したけど、僕が好きなのはイタリアオペラだったから、ちょっと方向性が違ったんですよね。それにスペインでコンクールを受けたら、イタリアで勉強している東洋人の声が良かったんです。ところがドイツやフランスで学んでいる人は結果を出していない。これはイタリアの教え方のほうが良いに違いないと思って、ドイツに来て7か月でイタリアに移りました。そしたら、やっぱり当たりでしたね。

玉袋 イタリアにはどれぐらいいたんですか。

春日 2年ちょっとです。もっといたかったんですけどね。しかも、そろそろ仕事になるかなって時期だったんですよ。

玉袋 イタリアで声楽を学んだ住職のお経なんて他では聞けないですよね。

春日 とはいえ、お経をうまくあげても、拍手もないし、シーンとしています。住職になって、「良い声ですね」と言われたのは一回だけ。ダミ声の住職と一緒の扱いですよ。自分ではオペラの声でやっているから、「お寺歌手」って言っているんですが。

玉袋 うまいね(笑)。家族や檀家さんはプラネタリウムに理解があったんですか。

春日 日本のお寺のやり方はおかしいと思って日本を出たわけですから、最初に「お寺を継ぎますけど、改革しますよ」と言いました。檀家の人だけのお寺じゃなくて、通りすがりの人にも魅力的だと思われたい。魅力的に思うってことは、変に思うってことですよね。端から仏教の魅力なんか分かるわけがないから、まずは気を引くところから始めないといけない。外に恐竜があるでしょう。ミスマッチというか、「何これ?」というのをたまにやらないと、興味を持ってもらえない。これが掘っ立て小屋だと怪しいけど、ちゃんとした木造の本堂があるから、そういう遊びもできるんです。

玉袋 業界から異端児扱いはされなかったんですか。

春日 陰では言っているかもしれませんが、直接は言えないですよ。なぜなら僕が論破しちゃうから。誰よりも仏教のことを理解しているから、下手なことを言えないですよね。仏教を聞いてもらうためにプラネタリウムを作ろうと思って、お寺で会議をやって、議事録もあって、僕の勝手でやっているわけじゃないから、何か言われる筋合いもないですしね。

ボランティアでプラネタリウムをやっているから攻めたことができる

玉袋 プラネタリウムは子どもたちにも開放しているんですか。

春日 子供たちはダメです。

玉袋 ズバリですね(笑)。

春日 子どもは知性がないじゃないですか。大体親のほうが、「子供に星を見せたいんです」と言うんですが、子どもは興味ないですよ。そもそもプラネタリウムを作った目的は、お寺に来て法事をやった方々に仏教を伝えるためだから一般公開は考えていなかったんです。ところが国立天文台の先生から、「せっかくやるなら一般公開もしてよ」と言われたので、一般公開を始めたんです。入場料として1,000円取っているんですが、それもお金目的ではなく、おかしな客を入れないためのハードルなんです。1,000円にしたのは、お釣りが面倒くさいから。

玉袋 どんなお客さんが多いんですか。

春日 他のプラネタリウムに飽きた人です。僕自身が生解説をしているんですが、ただ面白い冗談を言っているわけじゃなくて、知的レベルが高いんです。だから最初に「頭が痛くなっちゃうから、全部分かろうとしないでください。分からないところがあっても先に進んでください」と断っておくんです。税金でやっている区のプラネタリウムなんかはクレームが出ると困るんですよ。「理解できない内容で不愉快だった」と言われると、何がしかの処分が下りますから。でも、僕を辞めさせることはできない。館長であり、掃除もしますから。

玉袋 誰かの顔色をうかがう必要もないと。

春日 うちのプラネタリウムはプライベートでやっているから、かなり攻めています。ただ僕が一人で生解説するだけでは飽きてしまうと思って、開館当初から女性に入ってもらって、男女の掛け合いをライブでやっているんです。

玉袋 そういうスタイルは他にあるんですか?

春日 ないでしょうね。人件費も2倍かかりますし。僕はボランティアでプラネタリウムをやっているので、給料は一切もらっていません。その分を人件費に回して、自分で番組も作っています。その番組を作るのに早くて30時間、長いときは100時間以上かけているんですけど、お金に左右されないから骨のあるものができます。最新の数値を伝えるために、常に海外の文献も読んでいます。

玉袋 上書きしているんですね。そういえば過去に国立天文台の三鷹キャンパスにある4D2Uドームシアターを観せてもらったんですが、あれもすごかったですね。

春日 メガネをかけて観るんですよね。僕は4D2Uドームシアターを始めるときに、10人いた諮問委員の一人だったんです。

玉袋 そうなんですか! それを俺は観ていたんだ。

春日 諮問委員には、星の落語をやっている柳家小ゑんさんもいましたよ。

プラネタリウムは科学性がないとダメ

玉袋 生解説をするお相手の女性はどういう方なんですか。

春日 佐賀県から来ている方と、千葉県から来ている方がいて、お二人ともプラネタリウムの職員です。職員も千差万別で、サラサラと伝説・神話をしゃべるだけの力がない人もいれば、最新の数値を全部覚えていて、科学的に話すことができる人もいます。もちろんお二人は後者です。

玉袋 プラネタリウムというと伝説・神話の印象が強いですね。

春日 そればかり長くしゃべっていても、しょせんウソですから。プラネタリウムは科学性がないとダメなので、神話でうっとりさせるというマスタベーションは他でやってもらえばいいんです。

玉袋 うっとりモードを前面に出しているプラネタリウムもありますよね。

春日 大体のプラネタリウムって星空解説の時間が40分ぐらいなんですけど、20分30分と神話を聞かされると苦痛になりますよね。まあ今は大多数のプラネタリウムがボタンを押すと、映画館みたく録音した音声が流れて、おしまい。良心のあるプラネタリウムは最後に生で星空解説をしますけど、うちは善良なプラネタリウムなので、全部生で、くどくやっているんですよ。だから寝られない。

玉袋 寝かさない(笑)。

春日 明石市立天文科学館では、毎年11月23日に「熟睡プラ寝たリウム」というイベントをやっています。プラネタリウムで寝る人が多いということで、「勤労感謝の日だから、今日は寝てください」とシャレで館主が始めたらウケたんですよ。でも、うちとしては寝られるようなネタをやってちゃいけないなと。

玉袋 ネタですか(笑)。まさに星の数ほどネタがあるってことですね。

春日 情報が多過ぎるって言われるんですけど、取捨選択はご自由ですからね。全部理解しようと思わないでくださいと。

玉袋 プラネタリウム再生工場として、コンサルティングで全国を回ったほうがいいんじゃないですか?

春日 プラネタリウム業界は金がないですからね。たまにお話はありますけど、「プラネターリアム銀河座」のようにやるのは難しい。決められたことをやっていればいい業界なので、なかなか突拍子もない改革は受け入れられないですね。

玉袋 いやー、興味深いお話ばかりでした。住職の話を聞くまで、お寺とプラネタリウムが繋がらなかったけど、綺麗に繋がりました。今後も唯一無二のプラネタリウムとして末永く続けてください!

「プラネターリアム銀河座」公式サイト:https://gingaza-2019.amebaownd.com/

玉袋筋太郎

生年月日:1967年6月22日
出身地:東京都
1987年に「浅草キッド」として水道橋博士とコンビを結成。
以来、テレビ、ラジオなどのメディアや著書の執筆など幅広く活躍中

<新刊情報>

「美しく枯れる。」著書:玉袋筋太郎

定価: 1,760円 KADOKAWA刊

仕事の人間関係、夫婦仲、家族構成にも変化が訪れた波乱万丈な50代。
「時代遅れ」な昭和の粋芸人が語り尽くした、
悩めるすべての大人たちに捧ぐ、人生後半戦の歩き方。

一般社団法人全日本スナック連盟会長
スナック玉ちゃん赤坂店オーナー(港区赤坂4-2-3 ディアシティ赤坂地下1階)

<出演・連載>

TOKYO MX「バラいろダンディ」
BS-TBS「町中華で飲ろうぜ」
CS「玉袋筋太郎のレトロパチンコ☆DX」
夕刊フジ「スナック酔虎伝」
KAMINOGE「プロレス変態座談会」

構成・撮影/丸山剛史 執筆/猪口貴裕

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