【桟原将司連載#6】大阪桐蔭には〝草刈りペナルティー〟の伝説があるんです

後に西武の主力となる中村は大阪桐蔭時代の1つ後輩

【桟原将司 ハナの剛腕道中(6)】大阪桐蔭高1年生の秋に僕は肩を壊してしまい、治療で何とか回復し新2年生となった春には投球可能な状態になっていました。ただ、その後も肘の故障があったりと順調とは言えない高校野球人生を送っていました。

そして2年生の6月くらいのことでした。理由は割愛しますが…。僕は学校から停学処分をくらってしまうことになってしまったんです。

もちろん、野球部の練習にも参加させてもらえません。謹慎期間は2週間ほどありました。延々と坂道ダッシュをやらされたり、グラウンドのある山の中で延々と草刈りをやらされたり、そんな日々を過ごしていました。

その草刈りでは鎌を使うんですね。左手で草をつかんで右手に持った鎌で草を刈るという作業をずっとやっているわけです。そうするとどういうことでしょうか。謹慎期間が終わってボールを投げてみたら、スライダーがめちゃくちゃ曲がるようになっているではありませんか。

大阪桐蔭には伝説があるんです。あの草刈りのペナルティーを受けるとスライダーが曲がるようになると。1991年春の甲子園で大阪桐蔭が初出場ベスト8に入った大会を覚えている高校野球ファンも多いと思います。

大会中、仙台育英戦でノーヒットノーランを記録した僕の9歳上の先輩投手・和田友貴彦さんは、スライダーピッチャーでした。その和田さんも実は鎌で草刈りのペナルティーを受けたことがあるんですよね。

これが大阪桐蔭のグラウンドの山で草刈りするとスライダーが曲がるようになるという伝説の始まりです。ええっ、あれってホンマやったんやとなるわけですよ。謹慎期間中は完全にノースロー状態ですから肩も回復しちゃっていますしね。

僕自身もスライダーピッチャーでしたからね。草刈り=スライダーが曲がる伝説は本当だと信じています(笑い)。

ところで、僕の1学年上の先輩たちは夏の大阪予選では初戦敗退してしまいます。相手は同じく大阪の名門校・履正社でした。7回まで7点差で負けていて、あわやコールド負けというような展開でした。

そしていよいよ僕たちが中心となる新チームのスタートです。1学年下には現在も西武で活躍する「おかわりくん」こと中村剛也が5番・一塁でレギュラーです。後に阪神でチームメートとなる岩田稔も背番号14だったかな。3番手投手くらいの位置付けでベンチ入りすることになります。

こう書けばプロ野球選手を3人も擁して甲子園で大活躍したかのように見えますが、実は僕の学年は甲子園に出場できていません。ただ、負けることから貴重な経験を得ることになります。

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