【特集】能登半島地震|壊滅的被害を受けた輪島塗を救う 糸魚川のヒスイ職人の挑戦【新潟・糸魚川市】

糸魚川市のヒスイ職人が支援の手を

能登半島地震では日本を代表する漆器のひとつ、石川県の「輪島塗」も壊滅的な被害を受けました。被災地では瓦礫の中に多くの輪島塗が埋もれ、一部は災害関連ゴミとして処分されています。この伝統工芸の危機に同じく、もの作りの世界で活動する糸魚川市のヒスイ職人が支援の手を差し伸べました。

糸魚川市の山田修さん。地元で産出するヒスイを加工して、勾玉やアクセサリーを作る職人です。この道、13年。自ら設計した工房で、さまざまな作品を作り出してきた山田さんが、いま、ある伝統工芸と向き合っています。
■ぬなかわヒスイ工房 山田修さん
「輪島漆器の箸を大量に手に入った。それで簪を作る。簪の先端にこの勾玉をぶら下げる。」

2024年2月、能登半島地震の被災地でボランティア活動に従事した山田さん。衝撃的な光景を目にしたのは、その時でした。
■ぬなかわヒスイ工房 山田修さん
「ここが輪島漆器の保管場所。これが災害関連ゴミとして全部捨てられていた。全部瓦礫から掘り出したもの。」

倒れた民家の瓦礫に埋もれる、漆器。国の重要無形文化財に指定されている「輪島塗」です。深みのある漆の漆器が土とほこりにまみれて傷つき、処分されようとしていました。
■ぬなかわヒスイ工房 山田修さん
「家具膳。通称〝お祭り膳〟ともいう。冠婚葬祭に使われてきたもの。最初は土だらけでこういう状況だった。(Q.こっちにあるのは?)これが、いわゆる家具膳の正式なもの。本来は木の箱に入っている。これは珠洲市の方から預かってきたもの。お膳やお椀が5組1セットで入っている。これを捨ててしまうと聞いた時、最初に思ったのは『勿体ないから売ってお金にしよう』ではない。輪島塗が可哀想だと思った。モノづくり職人として、これを作ってきた輪島漆器の職人たちの物語があり、(被災者の)子孫のために数を増やしてきたご先祖たちの思いがある。それがゴミとして捨てられてしまうことに心が傷んだ。」

糸魚川に戻った山田さんは「輪島漆器販売義援金プロジェクト」を立ち上げました。
売却の意思を示した持ち主に代わって輪島塗を修復し、オンラインや店頭で販売します。利益は付けず、売り上げは全て持ち主に手渡すボランティア活動です。能登の漆器業者と適正な価格を定め、法的な問題が起きないよう警察や税務署とも相談を重ねました。

被災者から手渡された輪島塗は、糸魚川に持ち帰って丁寧に汚れを落とします。
■ぬなかわヒスイ工房 山田修さん
「(Q.これは何の文字?)冠婚葬祭の時は互いに貸し借りし合う。あとで自分のところに戻ってくるように、屋号の一文字を書いてある。これを『家印』という。」

能登の暮らしに根付く、輪島塗。代々受け継がれてきた家具膳が行き場を失っていることをSNSで発信したところ、多い時で1日に6000件以上のアクセスがありました。

■ぬなかわヒスイ工房 山田修さん
「この箸は、被災者から譲り受けたものです。」

山田さんが手を加えます。そこに、本業であるヒスイでアクセントをつけます。
■ぬなかわヒスイ工房 山田修さん
「こういう勾玉にして簪(かんざし)として作っている。」

かんざしは、売上の1割をもとの持ち主に寄付することにしました。
■ぬなかわヒスイ工房 山田修さん
「自分が一番得意なのは『漆器プロジェクト』ではなくて〝モノづくり〟。得意な分野と復興支援・生活再建の支援が組み合わすことができたら私がすごく楽しい。」

ひとつでも多くの輪島塗を救い出そうと毎月、被災地を訪ねる山田さん。プロジェクトへの賛同者を求めています。
■ぬなかわヒスイ工房 山田修さん
「プロジェクトというのは私がやっているが、通販で漆器を買ってくれる人や展示販売のサポーター、何より被災地でこの輪島漆器を私に託してくれた方々全員がプロジェクトのメンバー。みんなで総力戦で能登を見守ろうという人がもっと増えてほしいし、私のように活動してくれる人がもう3人いるだけでもっと輪島漆器が救出できる。そういう方が増えてほしい。」

輪島塗を守る。山田さんが能登を思う日々が続きます。

このプロジェクトは山田さんが中心となっていますが、現在はSNSを通じて多くの反響があり、すでに全国各地から山田さんの活動を支えたいと有志が名乗りでているということです。既にオンラインなどで輪島塗が売れたケースもあり、売り上げが被災者に渡されています。

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