救いの手を差し伸べるのはなぜ「親」であるべきなのか?【「不登校」「ひきこもり」を考える】

親によるわが子に対する傾聴・共感の実践に尽きる(C)iStock

【「不登校」「ひきこもり」を考える】#18

「救い手は親でなくてもいいじゃないか。教師やカウンセラーなど外部専門家でもいいのではないか?」

そんな声もあるでしょう。それでうまくいくケースもある一方で、病理が重いほどそれだけでは立ち直れないケースが現状未解決のひきこもりの多くであること。そして必ずしもどんな教師や外部専門家もそんな熱心に問題に向き合ってくれるとは限らないし、その力量があるとも限らないこと。さらに言えば、どんなに教師や専門家が熱心でも、ある程度の健康度がないとそれすら歯が立たないケースも多いことは知っておきたいものです。

利用できるリソースは可能な限り使えるだけ使えばいい、とは思うのですが、そこに親の情緒的支援があった方が、人任せでいるよりも大きな“追い風”を吹かせられるのは言うまでもありません。

現実にはさまざまな理由で親が支援者になれないケースもたしかに存在しますし、親なしでも立ち直らせる試みはなされることはありますが、本当にお子さんが心から喜ぶのは、親が自分を理解し、自分の心を受け止めてくれることであるのには間違いはありません。特に「感情不全」の病理が重い場合ほど、あくまでも親なしでの支援はセカンドベストであるべきと私は思っています。

親なしでのひきこもりの脱出や難治性の精神疾患からの回復は、親の意識改革と関わり方の望ましい変化で得られるほどの効果にはどうしても欠けることも多いのです。表面上の行動や症状は改善しても、ある種のほろ苦い不全感やさみしさがどこか残り続ける方も多く、親の傾聴・共感を通じて脱出・回復された方の多くに見られる本人と家族みんなが心から満たされるようなハッピーな感覚がどうしても得られにくい……そんなふうに、個人的に感じることが少なくないからです。

■親に理解され安心できれば、子どもには変化が現れる

私自身の経験から思うのは、不登校だろうが、ひきこもりだろうが、精神疾患であろうが、発達障害の不適応であろうが、まずファーストチョイスとして目指したいことはシンプルで、親によるわが子に対する傾聴・共感の実践に尽きると思います。ひきこもりや不登校の親御さんの多くが口を揃えていうのが「わが子が何を腹の底で考えているかわからない」という言葉であり、逆に多くの当事者の方からは「何度言っても親はわかってくれない」という言葉に見てとれるように、互いの掛け違いは大きいのです。そもそも本人のニーズが把握できなければ、どんなサポートも空振りになりかねず、効果的な支援のしようがないわけですから。

子どもが心の底から親に本音を聞いてもらえて理解してもらえたと気が済んで安心すれば、必ずお子さんに変化が生じます。でも鈍感な人が、自分より繊細な人からいくら一生懸命話しを聞いても、そう簡単に満足してもらうというのは至難の業です。(つづく)

▽最上悠(もがみ・ゆう) 精神科医、医学博士。うつ、不安、依存症などに多くの臨床経験を持つ。英国NHS家族療法の日本初の公認指導者資格取得者で、PTSDから高血圧にまで実証される「感情日記」提唱者として知られる。著書に「8050親の『傾聴』が子供を救う」(マキノ出版)「日記を書くと血圧が下がる 体と心が健康になる『感情日記』のつけ方」(CCCメディアハウス)などがある。

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