高くて厳しいスイスの不妊治療

不妊は世界的な問題だ。スイスでは7組に1組のカップルが不妊症に悩む。だが高額な治療費とヨーロッパで最も厳しい法律が足かせとなり、治療を受けられるのはほんの一握りだ。

「不妊症だと分かると、士気ががくっと下がります」。スイス西部ヴォー州に住むジュリー・ロゼさん(37)はこう話す。「2年近く妊活を続ける間、他には何も考えられず、周りの女性が簡単に妊娠していくのを目の当たりにしながら、自分に自然妊娠は望めないと分かった時は、本当につらい」

ロゼさんと夫は共に不妊症と診断された。子どもを持つために唯一残された道は体外受精(IVF)だった。ローザンヌで治療を受け、出産した女児は現在1歳1カ月になる。

世界保健機関(WHO)によれば、不妊症(避妊なしの性交渉を1年以上頻繁に行っても妊娠しない状態と定義される)は「差別なく」誰にでも起こりうる。WHOによると世界の成人人口の約17.5%、つまり約6人に1人が不妊症を経験する。

不妊症の流行

子どもを望んでいるのに授からない人の数を正確に知るデータはない。WHOの推計では不妊症の有病率は地域によって10〜20%と幅があり、東アジアとオセアニアで特に高い。日本や韓国といった出生率の低い国が属する地域だ。欧州では2500万人と推定される。

不妊症は確実に増えている。疾病の有病率を推定する「世界疾病負荷研究(GBD)」によると、不妊症は1990年以来、世界中で約15%増加している。

スイスではカップルの約15%が不妊症だと推定されている。正確なデータは、体外受精の症例数だけだが、それも不妊治療件数の一部でしかない。

スイスでは、毎年3000~4000人の女性が体外受精を受ける。2022年は6600人だった。

出産年齢の上昇

生殖器系の病気の原因はさまざまだ。ジュリー・ロゼさんは卵巣不全と診断された。夫は染色体異常を抱え、精子に問題があった。

喫煙やストレス、体重の問題などの生活習慣も生殖機能に影響を与えうる。環境中に偏在する内分泌かく乱物質に触れることも原因となる。

だが医療関係者は、不妊症増加の主な原因は出産年齢が上がっていることだと指摘する。女性の生殖能力は35歳から著しく下がり、40歳を過ぎるとさらに急低下する。

経済協力開発機構(OECD)加盟国における女性の第1子出産年齢(平均)は20年間で26歳から29歳近くへと、ほぼ3歳上がった。出産年齢が最も遅い国の1つであるスイスも、さらに上昇している。

体外受精のための借金

生殖医療を専門とする婦人科医ドロテア・ヴンダー氏によると、スイスでは不妊症と診断された場合、複数の治療法から選べ質も高い。「検査結果次第だが体外受精以外の治療、つまり卵巣刺激や人工授精から始めることもできる」

だがジュリー・ロゼさんらのように、体外受精しか選べない場合もある。ただ侵襲性が高く保険も適用されないため、経済的負担が大きい。強制加入の基礎医療保険では、卵巣刺激と年3回までの人工授精がカバーされる。新たな妊娠があれば更新される。

不妊症政策が最も手厚いベルギーとフランスでは、43歳未満の女性は人工授精6回、体外受精6回(フランスでは4回)まで保険の対象となる。

ヴンダー氏によると、卵巣刺激による人工授精の費用は約1000フラン(約17万円)。体外受精の料金はさまざまで、1万フラン前後になることもある。治療1周期あたりの妊娠成功率は約20%で、多くの場合は複数回繰り返さなければならない。

ジュリー・ロゼさんの場合は、体外受精2回と胚移植3回を受け、さらに着床前診断を行った。いずれも保険適用外だ。「娘を授かるために、3万フラン以上を費やしました」

このために夫婦は銀行ローンを組まざるを得なかった。「さもなければとても払えませんでした。体外受精は手続きだけでもとても複雑で、金銭面を含めるともっと大変です」

同じ境遇の人を日々診察しているヴンダー氏は、高額な治療費は一部の人々にとって「ブレーキになるのは確かだ」と話す。他の医師と同じく、医療保険の適用範囲の拡大を求めているが、政治的な議題にはなっていない。

不妊治療ツーリズム

スイスでは物理的に受けられない治療方法もある。生殖医療に関する法律は近年緩和されたものの、卵子提供をはじめ特定の技術は条件付きだったり禁止されていたりと、欧州で最も厳しい法制度を抱える国の1つであることに変わりはない。

卵子提供はドイツを除くすべての欧州諸国で認められている。不妊の原因が女性の胚細胞にある場合の解決策であり、35歳以上の女性にとっては体外受精よりも成功率が高くなる。

スイス連邦議会は2022年末に卵子提供を認める法案を可決したが、施行は数年先だ。

このため多くのカップルが不妊治療を受けるためにスイス国外に渡る。ヴンダー氏によると、具体的な数は分からない。チェコやデンマークは欧州中から子どもを望むカップルを受け入れており、スペインが特に積極的だという。

スペインの不妊治療センター2軒はswissinfo.chに対し、スイスからの患者が増えていると明かした。

遅れをとるスイス

欧州連合(EU)傘下の専門家団体が作成した「欧州不妊治療政策アトラス」において、スイスは法制度の厳しさと治療費の高さから低位にランクされた。だが卵子提供や同性婚カップルへの精子提供が解禁され、将来的には他国に近づくことが予想される。

スイス以外の国でも、家族政策の一環として不妊治療を支援するべきだという考え方が広まっている。

出生率の低下に悩む一部の国は、既に支援に乗り出している。日本は2022年4月から、保険が適用される治療法の範囲が拡大した。フランスのエマニュエル・マクロン大統領は今年1月発表した不妊症対策で、心理的サポートを強化し不妊症への社会認識を高めていくと表明した。

だが不妊治療を受ける人が増加する一方、治療を見送り子どもを諦めるカップルは依然多い。学術誌「Human Reproduction Update」に今年初めに掲載された研究は「特に低・中所得国では、治療費が高いためほとんどの人が治療を受けることができない」と結論付けた。

「不妊治療へのアクセスは大きな問題であり、家族を持つという基本的な権利を著しく阻害する」

編集:Samuel Jaberg、ドイツ語からの翻訳:ムートゥ朋子、校正:宇田薫

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