「光る君へ」でブイレク 俳優・毎熊克哉が仲間たちと映画を自主制作・配給する理由

2008年に結成したEngawa Films Project。写真右手前から毎熊克哉、林知亜季、柾賢志、佐藤考哲

ドラマ『セクシー田中さん』(2023年、日本テレビ系)、大河ドラマ『光る君へ』(NHK)などで視聴者を惹きつける演技を見せている毎熊克哉。彼は2008年、ワークショップで出会った俳優の柾賢志、佐藤考哲、監督の林知亜季からなる制作集団「Engawa Films Project」(以下、エンガワ)を結成し、多くの短編映画を製作してきた。エンガワと関係が深い藤原季節を主演に迎え、初の長編作品として製作された『東京ランドマーク』が、5月18日から、K‘s cinema(東京・新宿)、7月6日からシネマスコーレ(愛知・名古屋)、第七藝術劇場(大阪・大阪)で公開される。そこで、エンガワ結成のいきさつから4人の関係、自主配給を決めた映画への思いなどをエンガワの4人に語ってもらった。

毎熊 僕が21歳のころから通っていた演技のワークショップがあって、そこで一緒だったのがこのメンバーです。

「よし、今日から4人で何かやろうぜ!」みたいに始めた感じではなく、気づいたら集まってて、気づいたら始めてたという感じですね。決して、お互いの第一印象はよくなかった(笑)。

佐藤 僕から見たら、みんなクセはありましたが魅力的でした。毎熊くんは本当にシャイで。今でこそ、笑い話なんですが、ずっと「マイクマくん」と呼んでたんです。そしたら出会ってから8年ぐらい経ってから「僕はマイグマです」って言われて(笑)。でも、今更変えられないので「マイクマくん」って呼んでます。

毎熊 僕の名前の宿命というか(笑)。電話でお店を予約するときとかも、絶対に聞き取ってもらえないんですよ。さすがにプロフィールで「マイクマ」とあったら「マイグマです」と訂正しますが、それ以外は「マエジマさん」でも「マイハラさん」でも気にしない人生です。

こうしてなんとなく集まり仲間となった4人。当時はほとんど映像の仕事はなく、アルバイトをして生活をするという境遇も同じだった。「仕事がないなら、自分たちで撮ってみよう」という気持ちがエンガワの始まりだった。

毎熊 エンガワ最初の作品は林さんが撮った短編でした。3人が出演して林さんが撮影して。それまでに自分が撮った短編よりずっとおもしろくて、ノリで撮ったわりには、ちゃんとした映画だなって思ったんです。これが「うわっ、ダサッ!」とか思っていたら、多分、続いてなかったと思います。

僕は毎熊くんみたいに映画学校を出ていないので、プロの照明さんとかがいて、きちんとした機材がないと映画は撮れないものという先入観があったので、カメラ一つで、僕らの人力で作品が撮れるということを初めて知って。初めてやる部活の競技みたいで、本当に楽しかったですね。

佐藤 自分たちだけの力で映画が作れるんだという感動がありました。この作品を4人で作ったのが楽しくて「次もやろうよ」という気持ちになりましたね。それから何かを定期的やろうという話になって「Engawa Times」というYou Tubeを始めたんです。

毎熊 名前もロゴも柾さんが考えたんでしたっけ? 未だにそんなに出回ってないですけど(笑)。11年ぐらい前で、まだYouTuberという呼び方もないぐらいのときでした。

週に一度、必ず配信して。でも再生回数が10回とかで、これを見てるのは僕らだけじゃないかって(笑)。それでもきちんと2週間ずつ担当を決めて配信してましたね。

毎熊 本当に恥ずかしいので消したいんですけど、消せなくて。今となっては結構見ている人がいて、この前見たら、再生回数が2200回を超えていました(笑)。柾さんが「配信を100回まで続けよう」と言ってたのに、98回ぐらいのときに柾さんが止めちゃって。

それから数年間休止していたのに、『東京ランドマーク』の公開が決まったのがきっかけで節目の100回目を迎えるという。再開を待ってた人はいないと思いますけど(笑)。不思議な感じがしますね。

よく言い合いになるという毎熊と林はお互い良き理解者

結成から約15年。話を聞いていると、とても息のあった4人だと感じるが、順調に時を重ねてきたわけではない。ときには作品のことで口論となったり、ときには連絡を取らないこともあった。

毎熊 2015〜2016年ぐらいは、あまり会ってなかったと思います。林さんはフランスに渡ってドキュメンタリーを撮ったりして、1年ほど帰ってこなかった。僕はちょうど映画『ケンとカズ』が東京国際映画祭の日本映画スプラッシュ部門で作品を受賞して、劇場公開も決まって。僕も賞をいただいたりして、急にめまぐるしくいろいろなことが動き出していた時期でした。もともと、4人は何かやるとき以外は会わない感じでしたから。

フランスから帰国してからもしばらくは会ってなかった気がします。

でもそんなときに優しさを見せるのが毎熊くん。「何か集まってやりましょうよ」と声を掛けてくれて。「僕が声を掛けないと、みんな集まらないじゃないですか」とストレートに言ってくれる毎熊くんに甘えてましたね。

佐藤 もともとシャイなのに、そういうときはいちばん、発信してくれるんですよ。それでエンガワは続いているのかも。

毎熊 いやいや、エンガワが続いているのは、林さんが作品を撮っているから。林さんが撮らなくなったら、4人で集まることもないかもしれない。

僕が映画のことで相談できるのは、この3人しかいないから。『東京ランドマーク』の脚本を書いたときも、最初に「脚本、読んでよ」と3人にお願いしたような気がします。でもここから揉めましたね。

毎熊 僕は最初のころのように、ノリで撮る時期はもう過ぎたと思っていて。脚本を読んだらなかなかのボリュームで、これは長編映画になるな、と思ったんです。長編映画を撮るということは、極端に言えば『スター・ウォーズ』を上映している隣で、料金を2000円ぐらい取って上映するということ。そう考えると、そんなに急いで撮る必要があるのかと。もっと時間をかけて準備をしてから撮るべきじゃないかと言いました。

見切り発車みたないことはしないで、もっとちゃんと考えてやろうよ、と。でも林さんも主演の藤原季節も義山真司も「撮るなら今でしょ」っていう感じで。

僕がフランスに行っている間に、毎熊くんと季節が右肩上がりに評価を上げていて、そのへんの温度感がよくわからなかった。僕からしたら「なんで、今撮っちゃいけないの?」という感じだった気がします。

佐藤 そこから4人で時間をかけて、いろいろ話し合いました。いきなり長編は無理だから、最初は短編にして資金を集めようと提案したりしました。それでも林さんの「今、撮りたい」という気持ちは変わらなかった。

毎熊 意見が割れて強行突破で撮影をすることになったときに、僕は一度座組から抜けました。中途半端に関わっても仕方ないなと思ったので。

僕も完全に抜けたんですが、林さんと自宅が近かったこともあって、いろいろ情報が入ってくるんですよ。それで林さんに聞いたら「撮ってるよ」と。それを聞くと、エンガワとは関係なく、柾と林の関係で手伝うことにしました。現場に行ったら、林さんが手伝いを頼んでいた佐藤くんがいて。だったら、やっぱり毎熊くんにもいてもらいたいと思って、スケジュールを勝手に送ってました。

毎熊 離脱するときに、まあまあ揉めたんですよ。僕と林さんは言い合いになることが結構多くて、そのときも「もう、やりません」みたいな感じになっちゃって。それでヘコヘコ行くのも嫌だったし、中途半端は嫌いなタイプなんです。でも柾さんから現場が大変だと聞いて、友人として現場を覗きに行くと「そこはこうした方がいいんじゃない?」と、結局いつも通り本気になってしまう。林知亜季にハメられてるんですよ(笑)。

ケンカしてもなんだか粘着質な感じで繋がって、いつのまにか4人で酒を交わすみたいなね(笑)。でも僕も毎熊くんも「この前は悪かった」と謝るタイプではないので、柾と佐藤くんがいなかったら、二人の関係はもう終わってるから。でも、毎熊くんは完璧主義で、僕はちょっと適当で。仲良しで映画は撮れないけど、仲良くやろうとする柾と佐藤くんがいる。そこがうまく順番に機能してるんですよね。毎熊くんの完璧さがあるから、作品のクオリティが上がっていくんだと思います。

こうして撮り始めた『東京ランドマーク』は無事に撮了。だが、その後にコロナ禍となり、編集は最終段階まできているのに、公開の目処は立たなかった。このまま世に出すことなく、作品は消えていってしまうのか。そんな思いが4人の心によぎりだしたころ、流れは少しづつ、エンガワに傾いてくる。

結果論ですけど、コロナ禍があったから、今の『東京ランドマーク』があるというか。いろんなことは必然だった気がします。

佐藤 コロナ禍になっていなかったら、2023年にテアトル新宿さんで「藤原季節10周年企画」がなかったかもしれないし、そうしたら『東京ランドマーク』が上映されることもなかった。

そのときの4日間、映画館を満席にしてくれて盛り上げてくれたお客さんがいたから、全国順次上映のスタートが新宿に決まったと思っていて。本当にお客さんには感謝しています。そのときに「もう一度観たい」と言ってくださったお客さんに上映が決まったことを報告できるのも、すごく嬉しい。

佐藤くんは1年半ぐらい音信不通だったしね(笑)。そのときも毎熊くんが熱くて「撮影のときに、いちばん身を削って動きまわっていたのに、その作品が世に出るときにあなたはその場にいなくていいのか」って。そしたら佐藤くんが返信してきて。これはエンガワの中ではハートフルな出来事。毎熊くんはいつもは冷めた感じなんですけど、大事なときに熱くてハートフルなんです。

佐藤 「エンガワで舞台挨拶に立つのは最後かもしれない」と思ったら、この瞬間はもうないんだって実感しました。しばらく外の連絡を遮断してたんですが、『東京ランドマーク』にケツを叩かれて表に出た感じです(笑)。

毎熊 僕は何もないゼロの段階から関わった『ケンとカズ』が完成して世に出たとき、その映画が認められて評価されたときに、今までに味わったことのないような高揚感と喜びを感じたんです。この高揚感を味あわないでどうするんだって、思ったんですよね。だからこそ、自分たちで責任を持ちたいと思って、配給は自主配給にしました。

もちろん、僕らの気持ちを汲み取ってくれる配給会社さんがいたらお願いしています。でもまったく関係ない他人を入れるよりも、自分たちで好きなようにこの作品をお届けできた方が、絶対に後悔しないよねって思ったんです。

毎熊 それは4人で何度も何度も話し合いました。『東京ランドマーク』という作品は、ものすごく距離感の近い手作りで、そんな作品を完成した段階で他人に任せて、果たしてうまくいくのかと。僕は以前の作品で、現場の熱量と現場に関わっていない人の熱量の差でうまくいかなった経験があるので。人に任せてうまくいかなかったら絶対にその人のせいにしてしまうけど、自分たちでやってうまくいかなかったら、自分たちの力が足りなかったって思えるから。

みんな宣伝も配給もプロじゃないし、自主配給も初めての経験だし。でも自分たちに強みがあるとしたら、『東京ランドマーク』は自分たちの作品なんだという、作品に対する強い思いと勝手に持った責任感です。

毎熊 この作品には、意図して撮れないような奇跡的な瞬間がいっぱい映っていますし、編集も洗練されてます。映画は時間をかけて、観る人によって熟成されていくもの。『東京ランドマーク』は、“知る人ぞ知る伝説の映画”になってくれたらいいなと思っています。それにはまず、一人でも多くの人に届けていかなければ。

エンガワという意味なく始めたことが、もしかしたら今、意味を持とうとしているのかなって。僕たち4人にとって、『東京ランドマーク』はそんな作品だと思っています。

撮影協力:宮前村の台所 せいや

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