「60歳で定年退職」の先輩から聞いた“成功と後悔” 企業型DC運用のコツって?

<前編のあらすじ>

老舗の建設会社で設計部のエースと目される吉住颯太(41歳)は、会社から認められる仕事はしているものの、その会社の持つ「昭和的」な雰囲気に息が詰まっていた。魅力的な転職オファーを受けて新しい人生を始めようと半ば決意していたが、定年退職を迎えた尊敬する先輩と語り合った夜、吉住の心境が大きく変化する。

先輩社員が60歳で退職する理由

吉住は職場の最も尊敬する先輩である田中重人(60歳)と居酒屋の個室で向かい合っていた。吉住から2人だけで送別会をしたいと申し入れた時に、田中が快諾してくれたことがうれしかった。田中は、来月に定年退職することになっていた。会社には延長雇用の制度があり、希望すれば65歳まで就労することが可能だった。それでも田中は、60歳の定年と同時に退社するという。吉住は、「鍵山さんとか、南さんとか、若い社員が『先代さま』と言って嫌っている人たちは会社に残るのに、一番残ってほしい田中さんが、どうして辞めるんですか? 今からでも、僕らのために退職を撤回することはできないのですか? まだまだ田中さんに教えていただきたい」と真顔で言っていた。田中は、「そう言ってくれるのはうれしいのだが、実際問題として、これ以上、働く必要がないんだ」と言って、事情を説明した。

確定給付企業年金(DB)と確定拠出企業年金(DC)の2つの企業年金制度を合わせると一時金でもらっても2500万円を超える金額になるという。「これには、DCの運用で2割くらいは資産が増えていることも貢献しているのだが」と田中は笑って、「去年までに住宅ローンの支払いも終わり、子どもたちも独立して夫婦2人の生活になった。多少の蓄えがあるところに、企業年金で2500万円の一時金があれば、65歳まで食べるに困ることもない。思い切って、夫婦で世界一周のクルーズ旅行に行くことにしたのだが、約4カ月におよぶ旅行代金を支払っても、これから20年くらいは生活費に困る感じがしない。クルーズ旅行は、妻も楽しみにしているし、これからは仕事とは違う楽しみを見つけて暮らしていきたいと思っている」という。

DCターゲット・イヤー・ファンドの功罪

その後、田中は、企業型DCを意識的に運用しているかとか、社内制度の上手な利用の仕方とかについて具体的な事例を出しながら説明を始めた。「吉住は、次の人事で設計部の課長になるだろう。俺たちのような目上の人間が辞めることで、吉住たちの年代の優秀な人材にポストが回ってくる。そして、課長というのは、わが社では上級管理職だ。上級管理職になると、企業年金の配分がグンと増える仕組みになっている。今では、制度的に、DCメインの制度に変わってきているから、DCの運用は本当に大事だぞ。俺は、ターゲット・イヤー型を選んでいたので、さっき言ったように2割ほども年金原資が増えたのだけど、鍵山さんに聞いたら、定期預金だけに掛け金が積み上がっていて、DCは600万円くらいだったっていう。俺は1000万円を超えていた。早い段階で管理職になったこと、また、マッチング拠出もしていたということもあるが、60歳になって受け取る金額が600万円と一千数百万円では大きな違いだぞ。もっと言うと、俺の場合は、ターゲット・イヤー型だったので、株式への投資比率が徐々に低下して最後の5年間は株式へは10%以下しか投資していなかった。コロナショック以降の株高の恩恵は、ほとんどなかった。米株ファンドに投資していたら、ひょっとしたらDCで2000万円を超える資産になっていたんじゃないかと思うんだ。これは残念だった。まあ、退職時にリーマン・ショックが起こっていたら、ターゲット・イヤー・ファンドで良かったと胸をなでおろしているのだろうが、こればかりは成ってみないとわからない。

※各ファンドの基準価格データを基に筆者作成

ただ、クルーズ旅行を申し込んだ時は、1ドルが130円くらいだったんだよ。旅行代金は米ドル建てを定価に計算されているから、今の160円で計算すると、2人分で100万円以上多く支払うことになっていた。これは、あの時の決断が正しかったと思うよ」とワハハと大きな笑い声をあげた。そして、「鍵山さんも、南さんも、本当は、できることなら定年退職してのんびりしたいだろうと思うよ。けど、俺のように、課長、部長と出世したわけではなく、管理職としてのキャリアを積めなかった人たちは、やはり、企業年金の受取額も少なくなる。しょせんは出世競争というか、ポストの数は決まっているのだから、そのポストをつかめるかどうかでサラリーマンは生涯収入に差が出るものだ。吉住は、その管理職としてのキャリアを歩み始めたところだ。しっかり頑張れ」と言って、酒をつぎ足しくくれた。

新興企業の持つ魅力と弱点

転職を考えていた企業との面談は、田中との会食の翌日にあった。吉住には「これからは働く必要がない」と言っていた田中の言葉が強く印象が残っていた。また、「うちの会社は、社員の処遇だけは東証プライム上場の大企業と変わらない」とも言っていた。それ以来、吉住は転職することは間違いではないかと自問するようになっていた。「先代さま」に対しても、田中の話を聞いた後では見方が変わった。実際に、「先代さま」の話し方は、吉住と他の課員たちとでは、微妙に異なることも気が付いていた。「鍵山さんたちも僕のことは認めてくれている。その上で、アドバイスのつもりで言ってくれている……」というように、彼らの言うことに意味を感じると、不思議と嫌な気持ちが薄れた。

そして、決定的だったのは、転職候補先企業との面談の折に、企業年金制度などの福利厚生面について話を聞いてみた時に、相手の担当者が急に態度を硬くしたことだった。「福利厚生制度については、現在構築中です。ストックオプション制度に続いて、企業型DCを導入する計画があります。何分、誕生して間もない企業ですので、吉住さんがいらしているような歴史のある企業と比べると手薄で不十分なものですが、必ずや株式の上場とともに、ご満足いただけるような制度を実現する計画です」と言われた。しかし、その株式上場すら、計画の段階であり、いつ実現するのかは明確ではないのが現実だ。何より、面談していて気持ちが弾むような前向きな気持ちになれない自分がいた。

一時は、「人生最後の大勝負!」と武者震いしていたものだが、それが数週間前の自分だったとは思えないほど遠いことに思えた。吉住は転職を断念した。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

風間 浩/ライター/記者

かつて、兜倶楽部等の金融記者クラブに所属し、日本のバブルとバブルの崩壊、銀行窓販の開始(日本版金融ビッグバン)など金融市場と金融機関を取材してきた一介の記者。 1980年代から現在に至るまで約40年にわたって金融市場の変化とともに国内金融機関や金融サービスの変化を取材し続けている。

© 株式会社想研