ザ・ヴァガボンズのジミー・ジェイムスが死去

ザ・ヴァガボンズのフロントマン、ジミー・ジェイムスが死去した。84歳だった。

英ソウルバンドのジミー・ジェイムス&ザ・ヴァカボンズとして活躍して2021年にパーキンソン病と心臓の異常が見つかっていたジミー、14日(火)にロンドンの病院で亡くなったことを遺族が発表した。

マイケル・ジェイムスとしてジャマイカのセント・アン教区で生まれたジミー、1964年に同バンドのフロントマンとして初めてイギリスの地に降り立ち、アルバム『ザ・ファビュラス・ヴァカボンズ』を引っ提げ、半年にわたり同国のウェスト・インディアン・クラブでコンサートを敢行、その後BBCの番組『トゥナイト』に出演し、ザ・フーのマネージャー、ピート・ミーデンの目に留まることとなる。

カリプソ、スカ、R Bなど様々なジャンルをクロスオーバーするスタイルで知られた同バンドは、その後ジミー・ジェイムス&ザ・ヴァカボンズと改名し、ミーデンがザ・ローリング・ストーンズやスティームパケットらのサポートアクトの仕事を獲得、ロンドンのマーキー・クラブに毎週出演することとなる。

そして1966年にアルバム『ザ・ニュー・レリジョン』をリリースするも商業的には振るわず、1968年にニール・ダイアモンドの『レッド・レッド・ワイン』のカバーで英チャートのトップ40に入ることとなる。

しかし2年後に解散、その後MCのカウント・プリンス・ミラーとベースのフィル・チェンは俳優業と音楽のキャリアで成功を収めた。ちなみにジミーは新たにイギリスのバンドを雇い、ザ・ヴァカボンズとしてコンサートを続けた。

そんなジミーは1976年に『アイル・ゴー・ホエア・ユア・ミュージック・テイクス・ミー』『ナウ・イズ・ザ・タイム』をリリースしイギリスでヒット、前者はチャートで5位を獲得していた。

ちなみにジミーは作品よりもそのライブパフォーマンスで高い評価を得ており、ソウルや1960年代の音楽フェスティバルに多数出演、数年前に健康問題を理由にステージから引退していた。

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