デビューわずか4か月で電撃退団→新団体参加…19歳・ビクトリア弓月の決断「もっと輝けるんじゃないか」

19歳で大きな決断をしたビクトリア弓月(右端)【写真:マリーゴールド提供】

DRAGON GATE、WWE…リコシェにはまった中学時代

進路を決めるにあたり「プロレスラーになる」ことを選択した高校3年生がいた。新型コロナウイルスに家族全員が感染し、本当にやりたいことを追い求めた結果だった。そして彼女は、その1年後にプロレスラーになり、その2か月後にはスターダムの新人王に輝いた。しかし、彼女はデビュー4か月でスターダムを電撃退団し、新団体マリーゴールドに参加した。ビクトリア弓月(ゆづき)、新人とは思えぬテクニシャンは、いかにしてプロレスラーになったのか。(取材・文=橋場了吾)

ビクトリア弓月(以下:弓月)がプロレスに出合ったのは中学生時代、たまたまYouTubeでおすすめに上がってきたDRAGON GATEの動画だった。

「最初は男子のプロレスしか見てこなかったんです。その中でもDRAGON GATEだけ見ていて、特に好きになったのがリコシェで、そのままWWEも見るようになりました。もともと格闘系を見ていたので、それでおすすめに上がってきたと思うのですが」

もともと弓月は小学校の時から柔道をやっていた。最終的には愛知県3位にまで上り詰めた強豪だった。

「柔道は小学校から高校3年までやっていました。父親が柔道をやっていて、その影響なんですが……習い事のひとつみたいなイメージでしたね。とりあえず道場に行って、練習やって帰る、みたいな。当時の私は練習があまり好きではなくて(笑)、でも試合は好きという」

その弓月の人生の転機になったのが、2022年夏。家族全員が新型コロナウイルスに感染してしまい、1か月ほど思うように行動ができなくなってしまった。

「その頃、ちょうど進学を決めるための校内選考の面接があったんです。その面接に受からないと、大学や専門学校の推薦をもらえないので、2か月前くらいから面接の対策をし始めるんですが、このタイミングでコロナになって全然(面接の)練習ができなくなってしまって。『これは校内選考まで練習できないな、受けたとしても無理だな』と思って、自分のやりたいと思っていたことをやろうと決心しました。それがプロレスだったんです。母親は『やりたいことをやりなさい』と言ってくれたんですが、父は……反対派でしたね。でも、私は自分のやりたいことを押し切ってきたタイプなので(笑)、今は応援してくれています」

マリーゴールド参加を機に金髪にイメージチェンジした【写真:橋場了吾】

「自分がより輝ける場所」ロッシー小川についていくという決断

弓月が受けたのはスターダムの『シンデレラオーディション』。2023年3月末に練習生として入門し、プロレスラーになるための練習を始めた。

「柔道をやっていたことで生かせたことも結構あったんですが、やはり柔道では使わない動き……ロープワークや柔道ではやらない受け身は難しかったですね。そこでプロレスの凄さや難しさを痛感しました」

しかし、弓月は入門から7か月半というスピードでデビューする。2023年11月17日、新人が中心の大会『NEW BLOOD』で大江戸隊の渡辺桃を相手に敗北する。

「周りからは緊張していないように見えているみたいなんですが(笑)、心臓はバクバクですし、頭の中は緊張で真っ白でした。でも……デビュー戦が桃さんで本当に良かったなと思っています」

弓月のデビュー戦とは思えない動きの良さはすぐに評判となり、12月29日には自力初勝利、翌24年1月に行われた4選手参加の新人王決定トーナメント『ルーキー・オブ・スターダム』で優勝する。将来が嘱望されていた彼女だが、3月いっぱいでスターダムを退団した。スターダムから退団したのはジュリア、林下詩美、桜井麻衣(当時は桜井まい)、MIRAI、そして弓月。弓月の名前があったことに、大きな衝撃を受けたファンは少なくないだろう。

「やっぱり(ロッシー)小川さんについていきたいという気持ちがあって、『この人についていけば間違いないんじゃないか、もっと輝けるんじゃないか』と思って退団しました。1月14日にSTARSに加入したんですが、そのときにはまだ小川さんが辞めるという話は聞いていなくて、そのあとにうわさを聞くようになって、私はデビューしたばかりですし自立もできていないのにという気持ちもありました。今もスターダムにいる先輩に相談して揺らいだ部分がなかったわけではないのですが、最終的には『小川さんについていきたい』という強い気持ちを信じることにしました」

(19日掲載の後編へ続く)橋場了吾

© 株式会社Creative2