ベテラン声優・井上和彦「『UFOが来ました』が言えず荒川の土手で練習した若手時代」

レジェンド声優・井上和彦はご存知だろう。たとえば『キャンディ・キャンディ』の圧倒的王子様キャラのアンソニー。『サイボーグ009』の悲哀すら感じさせる主人公・島村ジョー。グータラで適当ながら並外れた食への知識と感性を持つ『美味しんぼ』の山岡士郎。役柄を挙げれば、きっと脳裏に声が浮かぶはずだ。

ときに熱血、ときに冷徹、ときにキュートなキャラクターそのものになりきる井上。キャリアは50年、2024年3月に70歳を迎えた。不惑を過ぎてから始めた趣味のウインドサーフィンが象徴するように、人生を「風まかせ」と称する彼。果たしてどんな土壇場を乗り越えて、現在地までやってきたのだろうか。

▲俺のクランチ 第51回-井上和彦-

声優を志したのは“人付き合い苦手を克服するため”

声優生活50年を迎えたレジェンド・井上和彦の社会人としてのキャリアは、引きこもりからのスタートだった。高校卒業後、プロボウラーを目指してボウリング場に就職するも、環境になじめなかったという。1回表からいきなりの土壇場だ。

「僕の家は横浜で中華料理店を営んでいて、町内の人たちみんな親戚かというぐらいに仲良しだったんですが、そういう環境から一人で社会に出てみたら、人と接するのが苦手になっちゃったんです。

2か月も部屋にこもっていて、さすがになんとかしなくちゃ、体力もつけなくちゃと思って、テレビの大道具の仕事を始めました。そこでエンターテイメントの世界を垣間見て、ちょっと興味を持っていたときに、ボウリング場時代の友人から声優の養成所の見学に誘われたんです」

それが全てのきっかけ。アイドルのデビュー秘話によくあるパターンだが、付き添いの井上がオーディションに合格し、養成所に入ることになる。最大の動機は「声優になる」ではなく「人づきあいの苦手克服のため」なのであった。

そこで講師を務めていた、磯野波平や『トイ・ストーリー』のスリンキー役でおなじみの永井一郎に声を掛けられ、事務所入り。なんとなく声優の世界に入ってしまった。

「先輩たちがやるのを見て、意外とチョロいなと思ってたんです(笑)。だって、台本の日本語を読むだけですから。実際、先輩たちも軽々とこなしていました」

夜の土手に響き渡った「UFOが来ました!」

だが、実際に声優としてデビューしてみると、何もできなかった。アニメ初出演は、『マジンガーZ』のモブ兵士役。「うぁ〜っ」と叫ぶだけの演技だったが、うまくできないまま出番がすぎてしまったという。

事務所に所属するも、特に役をもらうこともなく、アルバイトをしながら声優活動をしていた2年目。初めて『UFOロボ グレンダイザー』でレギュラーを掴む。だが、最初の収録で「大変です! UFOが来ました!」というセリフが言えずに、降板の憂き目を見ることになってしまう。

「できないことが悔しくて、2か月ぐらいは寝るとき、布団を顔に当てて泣いてました。これが人生で最初の土壇場だったかな。経験がないからできないのは当たり前、なんて僕は思えないんです。プロでキャリアを何年も積んだ先輩方が普通にできていることを、自分ができないのが悔しい。自分の中に根拠がなくても、いけると思ってしまう。僕は尋常じゃなく、負けず嫌いなんです(笑)」

結局、そのときは荒川の土手でひたすら「大変です! UFOが来ました!」のセリフを練習し続けるという荒技に出た。

「簡単だと思っていましたが、その一言を言えないヤツが、たくさんのセリフをしゃべることなんてできないんですよ。ただ、そのときはそんなことは考えてなくて、単に悔しくてやっていたことですが……。ずっと“UFOが来ました!”を練習してるあいだに、いろんなことを吸収できたんじゃないかと思います」

▲若き日に苦労したエピソードを笑いながら答えてくれた

だが、そうした負けず嫌いは青春の1ページだけではなく……。

「40代の頃、舞台で一輪車に乗る場面があって、“乗れる人は乗ろう”っていう話だったんですが、僕は自分が乗れないのが悔くて、誰にも頼まれていないのに3か月練習して乗れるようになりました。代々木上原のガード下で深夜12時過ぎ、周りの商店が閉まってから一人でやってました(笑)」

その後、還暦を過ぎてから趣味に加わったロードバイクでも、佐渡島を半周する大会に出場し、130kmを走破。驚くことに今年の5月には島1周の210kmにチャレンジするという。「今の時点で全然練習してないから、行ける気がしません」と言いつつニヤリ。

「これまで最高130kmしか走ったことがないので、無謀なチャレンジだと思うんですが……どうやら僕には、無理してでもつじつまを合わせようとするクセがあるみたいです」

島村ジョー、山岡士郎…いつも役が転機になった

デビュー3年目に『キャンディ・キャンディ』の悲劇の美少年キャラ、アンソニーを演じ、さらにその3年後、『サイボーグ009』の主人公・島村ジョー役で人気を決定づけた。

「その後10年ぐらい、いろいろな主人公をやらせていただくきっかけになった役なので、僕にとって大きな転機でした。それまでのヒーローアニメは、勧善懲悪的な作品が多かったんですが、島村ジョーは、悩みながら戦っていくようなキャラクターだったんです。高橋良輔監督がそんな役に合う声優をこだわって探しておられて、もしかしたら僕の不安定な感じが、島村ジョーに合ったのかもしれないですね」

それをきっかけに、井上のヒーローとしての魅力が開花。同時に、熱血な正義漢というだけではない二アニメの主人公像も定着していった。そして、まさにこの作品以降、声優一本で食べていけるようになったという。

さらに井上といえば、強く印象に残るキャラクターが1988年に放送が始まった『美味しんぼ』の山岡士郎だ。『009』以降、ヒーローアニメの主人公としてすっかりおなじみになっていた井上に、新たな地平を開いたのがこの役。

じつは当初、井上とは違う声優がキャスティングされていたのが、原作者・雁屋哲の鶴のひと声で再オーディションとなり、音響監督・浦上義夫の勧めで参加した井上は、山岡役を射止めたという経緯があった。

だが、収録を目前にマイコプラズマ肺炎で入院していまう。「僕の回復を待って、収録はおろか、放送開始日程さえ延期されたそうなんです、だからプレッシャーもすごかった」と、井上は回想するが、それほどまでに「山岡士郎=井上和彦」は揺るがなかったのである。しかし……。

「全然うまくできなかったんです。浦上さんとは、ヒーロー作品を一緒にたくさん作ってきたこともあって、どうしても山岡がヒーローっぽくなってしまう。彼はいつも二日酔いで、グータラで、だらしないキャラクターなのに、“らしさ”が出ないんです。“もっとボソボソしゃべって”と指示されるんですが、マイクの前に立つと、どうしてもキリッとしてしまうんですね。

実際に二日酔いで収録に臨んだり、いろいろ試行錯誤した末に、ふと浦上さん自身がボソボソしゃべっていることに気づいたんです。その雰囲気を取り入れてしゃべってみたらOKでした(笑)」

それが、皆さんご存知の山岡士郎の声である。普段はだらしないが、料理のこととなると知的でロジカルでクールで熱い山岡士郎を演じたことで、井上の“役づくり”の幅は大きく広がったという。

「僕のなかでは“役づくり”っていう感覚はないんですよ。“その役になって生きる”っていう感じが近いかな。だから、役を演じるときに“どんな声でいきますか?”って聞かれることがあるんですが、そこのプランみたいなものはないんです。作ってるわけじゃなくて、“その役になろう、なろう”っていう感覚。すると、その物語や場面に応じた声が出てくるんです」

▲役を作るのではなく、その役になろうという感覚ですね

そんな井上の役へのスタンスは、近年の当たり役『夏目友人帳』のニャンコ先生でぜひ確かめてほしい。幼いころから妖(あやかし)の姿を見ることができる主人公・夏目貴志と行動を共にし、妖怪たちと渡り合う用心棒役だ。

普段は、まん丸な招き猫の姿だが、じつは優美で威厳ある大妖怪・斑(まだら)。ビジュアルはもちろん、その声のギャップにもグッとくるわけだが……。

「演じ分けているわけではないんですよ。ニャンコ先生と斑は別のモノとして捉えがちですが、外見が変わっているだけで中身は同じ。僕のなかで両者のキャラクターが違和感なくつながっているので、作らなくてもそれぞれに応じた声が出せるんです。

人間だって、誰かに甘えているとき、不機嫌なとき、それぞれしゃべり方や声は全然違うでしょう? “声を作ろう”って考えると限界ができると思うんです」

「風まかせ」は命がけでもあるんです

キャリア50年。美少年から悩めるヒーロー、屈折した主人公を経て、招き猫兼大妖怪。役になりきることで役の声を獲得する井上和彦のメソッドに限界はない。演じる役の幅も広がり、今年3月には初の自伝『風まかせ』(宝島社)を出版し、70歳を迎えてますます仕事が楽しくなってきているという。

「最近は特にそうなんですけど、年齢もバラバラだし、良い人から悪い人まで、あとは変態の役もあります(笑)。ジャンルがなくなってきていますね」

「変態」とはおそらく、アニメ『吸血鬼すぐ死ぬ』のY談おじさん役。人類に下ネタしかしゃべれなくなる魔法をかけて操ろうとするキャラクターだ。併せて、映画『ファンタスティック・ビースト』シリーズで、マッツ・ミケルセン演じるグリンデルバルドを吹き替える井上を聞いていただければ、その声優としての自由自在ぶりがよくわかるはずだ。

「今の状況はすごく楽しいです。僕らは自分で役を選べるわけではないので、オファーをいただくままにやってきたんですけど、これまで50年続けてきたことで、いろいろな役に対してすごく自然に入っていけるようになってきた気がします」

それをまさに、井上は「風まかせ」と呼んでいる。自分で選ばないからこそ、オファーのあった役に併せて自らの新たなチャクラを開いて対応し、求められた以上の高みを実現する。それを繰り返してきたからこそ、きっと自由な今があるに違いない。

「いただいた役をどういうふうに演じるか。その結果によって、“井上に次はこういう役をやらせてみたい”って思ってくださる。その都度、誰かが何かの可能性を感じてくださったからこそ、いろんな役をいただけるんじゃないかなと思います」

▲風まかせは命がけでもあるんです

「風まかせ」というと、もしかしたら主体性を持たずフラフラと流れ流れていく人生を想像するかもしれない。しかし、そうではないと井上は魅力的な笑みをたたえて説明してくれた。

「ずっと流されてきて楽なんだろうなって、そういうイメージがあるかもしれないんですが(笑)、ときに台風もくるんですよ。この前、ウインドサーフィンの最中、台風に直撃されたことがあって……50mほど沖にいたんですが、海に落ちちゃったんです。

そしたら、ボードが強風に舞って砂浜に打ち上げられたんです。自分はボードを失っちゃったんで、あとは暴風のなかを泳いで帰ったんですけど。ボードは地上にいた仲間がとどめおいてくれたんですが、これだって、風まかせですからね(笑)。ときに風まかせは命がけでもあるんです」

重ねて言うが、70歳。これは土壇場過ぎる生命に関わるエピソード。無事を喜びつつ、どうしたらこんなにもカッコよく軽妙で洒落たオヤジになれるのだろうか。

「50代のときは早く60歳になりたくて、70歳を迎えるにあたってワクワクしていました。たぶん、40代から中身は全然変わってないと思うんです。だから、年齢なんて意識しなくていいのかもしれない。

“もう、この歳だからなー”なんて考え始めた途端、人は老いていくんじゃないのかな。培ってきた経験をしたたかに発揮しながら、あとは自分の気持ちに正直に生きる。それでいいのかなと思っています」

そう話す井上和彦は、やっぱりとってもいい声なのであった。

(取材:武田 篤典)


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