13歳のメッシとバルサの”紙ナプキン契約書”が約1億5000万円で落札…メッシとバルサの運命を決めた1枚

現在インテル・マイアミに所属するアルゼンチン代表FWリオネル・メッシが13歳のときに、バルセロナとの契約書代わりに使用された紙ナプキンに、76万2400万ポンド(約1億5000万円)の値がついたようだ。17日、アルゼンチンメディアの『TyCスポーツ』などが報じた。

2009年9月、メッシはバルセロナとの契約を目指し、父親とアルゼンチンからバルセロナへ。そして練習に参加したメッシに対するバルセロナ関係者の評価は上々だった。

しかし一方で、バルセロナの内部には成長ホルモンの分泌障害があり、高価な皮下注射を定期的に打たなければならない外国人の少年とその家族の生活を支え続けるのはリスクが高いとし、契約に反対する人たちもいたとのこと。そのため、メッシとバルセロナの契約は進まず時間だけが過ぎていった。

しびれをきらせたメッシの代理人や関係者は、バルセロナに対して契約する意図がないならば他のクラブと話をすると伝達。そして12月、メッシの関係者はバルセロナのスポーツディレクター(SD)だったカルロス・レシャック氏とバルセロナ市内のテニスクラブのカフェテリアで面会し、契約するか否かの最終決断を求めた。

すると、メッシを逃しては行けないと考えていたレシャック氏は、ナプキンに「2000年12月14日、バルセロナ。バルセロナの技術部門の責任者オラシオ・カルロス・レシャックはエージェントのジョゼップ・マリア・ミンゲーラ氏同席の元、リオネル・メッシとの契約に関して反対する声があるにも関わらず、自らの責任で、合意できる金額の範囲内にてリオネル・メッシと契約することを誓約する」とペンで記載。この”紙ナプキン契約書” がメッシとバルセロナの契約書代わりに使用され、その後、メッシはバルセロナの選手として正式にプレーすることになったというストーリーがある。

この”紙ナプキン契約書”は、13歳当時のメッシの代理人をつとめていた人物が長い間クレディ・アンドラ銀行に保管。他者に譲ることはせず「あの紙切れはクラブの現代史を変えたものだから」とミュージアムでの展示などの使用にとどめていたが、考えを変えたようでオークションに出品されて、今回、高値で取引されたという。

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