坂本冬美の『モゴモゴ交友録』鬼束ちひろさんーーわたしをイメージして、わたしのために書いてくれた6分10秒の名曲

鬼束ちひろ、坂本冬美

2ndシングル『月光』で、一躍トップアーティストの仲間入りを果たした鬼束ちひろさんが、2018年に発売されたのが『ヒナギク』というタイトルのシングルでした。

『月光』を想起させる荘厳さと絶望……ピアノとストリングスを中心にしたバラードは、 “これぞ、鬼束ちひろ!” という名曲です。

と、ここまでは驚くようなお話ではないのですが、じつはこの『ヒナギク』、鬼束さんがわたしをイメージして、わたしのためにと書いてくださった曲なんです。

どうです!? 驚いたでしょう? 後になってその話を聞いたときは、わたしも、え〜〜〜っ!? 嘘でしょう? と声を上げてしまいました。

事の経緯をつまびらかにしますとーー。

鬼束さんが作った『ヒナギク』のデモ音源が、アレンジャーの坂本昌之さん経由でうちのディレクターに手渡されたのが、2017年の2月のことだったそうです。

このときわたしは、50歳にして50枚めのシングル『百夜行』の発売目前で、プロモーションや歌番組の出演など、すべてがそこに向けて動き出していました。

ーーどうしよう?

ディレクターは悩みに悩み、それでもいい案が浮かばず、さらに悩んだと思います。

歌手は、1年1年が勝負です。何度も会議を重ね、 “今年はこの歌で!” という1曲を決め、それに全精力を注ぎ込みます。

とはいえ、今回は男歌だから、次は女歌かポップス系だよねというように、漠然としたものですが、先々を見据えて、イメージを膨らませていきます。

その流れのなかで、『ヒナギク』がぴたりとハマるのは、まだ先です。しかも、曲が6分10秒と長く、演歌のシングルとしては異例の長さになります。

悩んだ末、ディレクターは後ろ髪を引かれる思いで、デモテープをいったん自分のデスクの引き出しにしまい込んだそうです。

ーーいつかそのときが来たらと、心のメモ帳にしっかりと書き留めて。

それから1年半後の2018年8月に、鬼束さんが22枚めのシングルとしてリリースされたこの『ヒナギク』が、再びわたしのもとに帰ってきたのは、さらに3年後の2021年でした。

デビュー35周年を記念して、 “情念” をコンセプトにしたカバーアルバム『Love Emotion』を作ることに決まったとき、ディレクターの頭に心のメモ帳に書き留めていた『ヒナギク』が浮上したそうです。

「冬美に『ヒナギク』を歌わせていただけませんか?」

ディレクターが鬼束さんのもとにお願いに上がると、快くOKしてくださり、アルバムに収録させていただくことになった……というワケです。

わざわざレコーディングに足を運んでくださった鬼束さんは、想像していたより何倍も、何十倍もかわいらしい方で、わたしが歌うと、「うわぁ〜〜〜〜、すごくいいです!」と、手を叩いてくださって。「わたしが歌うよりも、はるかに『ヒナギク』です!(笑)」というコメントまでくださいましたが、そんなことはありません。

わたしのために書いてくださったというのはすごく光栄だし、歌手冥利に尽きますが、『ヒナギク』は、やっぱりわたしの歌じゃなくて、鬼束さんの歌です。

興味のある方は一度、鬼束さんの『ヒナギク』と、わたしが歌う『ヒナギク』を聴き比べてみてください。

わたしなりに頑張って歌いましたが、やっぱり鬼束さんが歌う『ヒナギク』のほうが……モゴモゴモゴです。

さかもとふゆみ
1967 年3月30日生まれ 和歌山県出身『祝い酒』『夜桜お七』『また君に恋してる』『ブッダのように私は死んだ』など幅広いジャンルの代表曲を持つ。現在、最新シングル『ほろ酔い満月』が好評発売中!

写真・中村 功
取材&文・工藤 晋

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