パチンコやめて1年経過「生きる意味がわからない」と虚しさを感じる元ユーザー

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たしか少し前に、「パチンコしか趣味がない人は落伍者なので、そういう終わった人間にならないように趣味をいくつか持ちましょう」という大変ありがたい記事を書いた記憶がある。

要するに趣味が1つしかないと、その趣味に飽きてしまったときにつぶしが効かないので、他にいくつか趣味を持って心の逃げ場所を複数確保しておこうね。ましてギャンブルしか趣味がないとかダメよ、という話だ。

しかし、世の中には趣味を見つけるのが得意ではない人も多い。趣味が全くないという人もいるほどだ。そんな中でも最悪なケースが、やっぱり繰り返しになるが、パチンコしか趣味がない人たちだろう。(文:松本ミゾレ)

趣味がパチンコしかないと、刺激を感じられる新しい趣味に出会えないジレンマ

パチンコ・パチスロは大当たりがお金の増加に直結する遊びだ。当たれば当たるだけ、財布の中身が増えることになる。そしてお金を賭けないパチンコをやるバカはいない。ゲーム性だとか、作り込みだとか、台を褒めるユーザーはしばしばいるが、結局そんなもん金がかかっているから面白く感じるだけである。

大当たりというのは、お金が増える際の演出とも言える。そういう演出を何度も何度も体験すると、次第に脳がちょっとやそっとの刺激では満足できなくなっていく。

元々映画やドラマが好きだった人が、パチンコをおぼえた後に全く興味をなくすみたいなことが、ままあるのだ。これがパチンコしか趣味がない人が生まれ出てしまう流れである。

先日も5ちゃんねるに「パチンコやめて1年たつけど人生がむなしい」というスレッドが立っており、スレ主は「生きる意味がわからない」とも書き込んでいる。これに対して「ゲーセンで我慢しろ」とか「アマプラとかで映画たくさん観ろ」という書き込みも見られるが、わかっちゃいないね。

前述のように、パチンコしかやることがなかった人にとってはパチンコで得られる脳みそへの強烈な刺激がデフォになっているので、それ以外の趣味に能動的にハマろうとする気力がわかないのである。スレ主はまさにこの状況に陥ってしまって、生きる意味がわからなくなり、明日を見失った状態なのである。

そもそもパチンコをやめた理由は……

それにしても、パチンコをやめて1年というこのスレ主。その1年間で新しい生きがいも見つけられていないというわけだが、そもそもどうしてパチンコをやめたのか。理由は本人が独白している。

「やってて空しさを感じたからやめた。全然回らないし」

パチンコというのは、ホールの釘調整次第で1,000円辺りの回転数なんか自在に調整できる。基本的に1,000円で20ぐらい回ってくれるとあんまりストレスを感じずに遊べるんだけども、僕自身はそういう調整の台に座った経験はそうそうない。

僕はパチスロばかりやっていてパチンコなんかほぼしないのでアレだけど、近年では1,000円当たりの回転数は15~17程度の調整にしているホールが目立つ印象だ。

こういうマイナス調整の台は打ち続けると長い目で見るとほぼほぼ確実に負ける。だからそれを嫌って僕はもう何年もパチンコをしなくなった。一瞬だけパチンコに天井が搭載された頃に復帰したが、撤去後は1回しか打っていない。それもキャリコネの記事のネタとして、軽く弾いた程度だ。

回転数が乏しい台って、実際打ってみると分かるけど虚無もいいところなんだよね。チャッカーに玉が入らないから演出が停止した液晶画面を眺める時間も頻発するし、その間にも1分間に100発以上の玉を無駄打ちしてしまっている。パチンコ玉って1つ4円で貸し出されているので、これを黙って眺めているということ自体が究極の金の無駄なのである。

スレ主はパチンコが生きがいだったようだけど、さすがに悪質な調整の台を打ち続けるうちに、勝ち負け以前にパチンコをすることそのものが嫌になったんだろう。ただ、パチンコをしなくなったことは間違いなくプラスだけど生きがいが存在しないのは文字通り生きててつまらない。

なんとかこう、代わりに楽しめる趣味に出会ってほしいなぁ……。パチンコで得られる脳内麻薬って強烈だけど、それでも数年もすれば流石に効力は薄れるので、あと2、3年耐えれば、身の回りの数々の娯楽に魅力を感じられるようになるんじゃないだろうか。

いや、でもなあ。何の趣味もないまま年齢だけ重ねてるおっさんもいるもんなぁ……。

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