宮田笙子の「私の体操人生を変えてくれた人」 亡き師に誓うパリ五輪での活躍

宮田笙子選手のインスタグラムに投稿された小竹英雄さんとの写真

 「私の体操人生を変えてくれた人」。5月18日、群馬県で行われた体操のNHK杯でパリ五輪切符を手にした福井県立鯖江高校出身の宮田笙子選手(19)=順大=には、かけがえのない恩人がいる。福井県体操協会長を長年務め昨年10月に死去した小竹英雄さん=鯖江市、享年81=だ。頑張りなさい、あなたはできるんだから―。調子の上がらないとき、かけてもらった言葉が今も心の支えだ。「私はできる」。小竹さんにもらった自信を胸に、メダル獲得で「恩返し」を誓う。

 京都府出身の宮田選手。中学2年の全国大会で才能の高さを見せた宮田選手に、幾度となく声を掛けてきたのが小竹さんだった。

 「ぜひ鯖江に来てほしい。来るなら、早いうちから(鯖江に)慣れた方がいい」。両親を鯖江に招くほど熱心な勧誘だった。心を動かされた宮田選手は2019年、中学3年の秋に中央中に転校。半年後に鯖江高へと進み、めきめきと素質を開花させていく。

 当時、練習拠点としていた鯖江市立待体育館。事務室には、いつも温かく見守ってくれる小竹さんがいた。鯖江高校の田野辺満監督から厳しく指導されたときには「いっぱい教えてくれたんだから、ちゃんと聞きなさい」。調子が上がらずに涙があふれると「落ち込んでもいいからまた頑張りなさい。あなたはできるんだから」。寄り添ってくれる一つ一つの言葉がうれしかった。

 「小竹先生は、いつも私を信じてくれていた」と話す宮田選手が世界で頭角を現したのは、2年前の22年世界選手権だった。種目別平均台で県勢初の銅メダルに輝き、「小竹先生が一番喜んでくれた。その笑顔を見られたのがうれしかった」と振り返る。

 そのとき既に小竹さんは病魔と闘う日々を送っていた。18年2月に胃がんが見つかり、胃の3分の2を摘出。退院後、再び選手の発掘や強化など県内体操界の発展に力を尽くしていたが昨年10月7日、静かに息を引き取った。ベルギーで行われた23年世界選手権で、日本女子団体チームがパリ五輪の出場枠を獲得した4日後だった。

 帰国後、通夜に参列したときのことだ。宮田選手は小竹さんの次女佐野美由紀さん(52)に声を掛けられた。「笙子ちゃんのおかげで(父の)夢がかなったよ。ありがとう」「最後の最後までお見舞いに来てくれた人に自慢していたよ。笙子ちゃんは誇りだって」

⇒実業団や大学抑え鯖江高校が体操全日本2連覇

 涙が止まらなかった。「ありがとうを言うのは私の方なのに…」。宮田選手は思いを強くした。「小竹先生は絶対パリの舞台を見ていてくれる。メダルを取る姿を天国から見ていてほしい」。

⇒宮田笙子、NHK杯で見せたエースの自覚

© 株式会社福井新聞社