プロ引退直後に英国名門大でMBA取得へ ラグビー・土佐誠が続ける“世界との競争”

ケンブリッジ大でエグゼクティブMBA取得を目指し、勉強中

2022-23シーズンを最後にプロラグビー選手としてのキャリアに終止符を打ちながら、その半年後、ラグビー発祥の地・イギリスで大学院生として再び楕円球を追い始めた人がいる。NECグリーンロケッツ(現・NECグリーンロケッツ東葛)、三菱重工相模原ダイナボアーズでプレーした土佐誠だ。

トップリーグ、リーグワンで送った現役生活は13年。尾道高、関東学院大を含めれば20年以上に及ぶ競技生活に区切りをつけ、引退後は三菱重工相模原でインターナショナルリレーションマネージャーに就任した土佐が、なぜイギリスで、なぜ学生ラグビーで“現役復帰”をすることになったのか。

実はエグゼクティブMBA(経営学修士)の取得を目指し、昨年9月からケンブリッジ大ジャッジビジネススクールの学生になったのだ。三菱重工相模原での職務も継続しながらの“二刀流”でもある。

「月に2日ほど対面授業があるので、毎月ケンブリッジまで通っています。滞在が3日だけで、時差ボケになる前に帰国、なんてこともありますよ(笑)」

同級生は20代から50代まで、国籍はイギリス、南アフリカ、インド、トルコ、スペイン、日本など様々で、ほぼ全員が仕事と学業を掛け持つ。世界各地から寄せられた入学希望の中から、英語のテストや論文、面接などの試験を通過した約100人が、リーダーシップやマネジメントなどを含むビジネススキルを学んでいる。

普段はそれぞれ生活の拠点を置く場所で自主学習に励む。「とにかく課題が多いんですよ。文献を読んで、レポートを書いて。5、6人のグループでビジネスシーンにおける課題を解決するというプロジェクトもあって、みんなで時差調整をしてオンライン会議をするんですけど、ヨーロッパに住む人が多いので彼らが昼休みの時=日本の夜にやることが多いですね」。まさに“国際派”を地で行く日々を送っている。

そもそも「知ることが好き」と好奇心旺盛だ。2017年にNECから三菱重工相模へ移籍した理由の一つは、選手生活を続けながら東海大大学院でコーチングを学ぶため。引退後は指導者としてラグビーに携わることを視野に、「いくら経歴があっても、勉強なくして良い指導者にはなれない」と選んだ道だった。

順調に準備を重ねる中で迎えたのが、2020年のコロナ禍だった。外出を控えなければならない状況下で、自分の生き方について考えた人は多かっただろう。土佐もまた、自身の将来に思いを馳せ、コーチになった先の未来を考えてみた。

「日本ではコーチになった後、チームの統括やマネジメント側に立つ例が多い。となると、経営管理などビジネスの知識もあった方がいいだろうと考えた時、ビジネススクールに行けばそういう知識が得られると教えてもらいました。留学するにしても、ラグビーやフットボール業界に携わるのであれば、アメリカではなくイギリスの方がネットワークを広げることができる。しかも、ラグビー部員が対象の奨学金もあったのでケンブリッジ大を選びました」

ラグビーで奨学金を受けながら、将来に繋がる勉強ができるなんて、願ったり叶ったりだ。期せずして“現役復帰”を果たすことになった土佐は、シーズンが本格化する1〜3月にはケンブリッジに拠点を移し、ラグビー部の活動にも励んだ。チームメートはほとんどが学部生。37歳の土佐とは20歳近く離れている選手もいるため、プロ経験を持つ自身の立場について「ちょっとズルいんですけど」とバツが悪そうに笑う。

2度目のザ・バーシティーマッチはフル出場し、トライも決めた【写真:本人提供】

伝統の一戦に2度目の出場「お金では買えない伝統の一部に」

カレッジ制を採るケンブリッジ大では各カレッジにラグビー部があり、それぞれから優秀な選手を集めた“選抜チーム”が、毎年3月に行われるオックスフォード大との対抗戦「ザ・バーシティーマッチ」に臨む。1872年から始まり、今年で142回を迎えた伝統の一戦。両大学のラグビー部員にとって、この試合に出場することが最大の目標となっている。

今年は3月2日に行われた決戦に、土佐はNO.8として先発出場する栄誉を受けた。実は土佐がザ・バーシティーマッチに出場するのは2度目の出来事。関東学院大を卒業した2009年にオックスフォード大へ留学した際、同年のザ・バーシティーマッチに途中出場している。出場者のみ得られる「ブルー」の称号を両大学で手にすることは稀だ。

「みんな1年に一度の試合に出るため、そこに懸けて練習しているところもあるので、同じポジションの選手には気の毒なことをしたというか、本当に悔しそうでしたね。それだけみんなの思いが詰まった試合なんだと再確認しました」

出場メンバー決定の知らせは伝統に則った“アナログ方式”だ。特別なブレザーを来た主将が自転車で各カレッジを訪れて選出メンバーに伝えて回る。その他にも、主将の所属カレッジで選手の集合写真を撮ったり、タキシード姿で歌を唄ったり、150年の歴史とともに様々な儀式や行事が受け継がれてきた。15年前の初出場時は「圧倒されたというか、緊張して大変でした」と笑うが、「お金では買えない伝統の一部になること」を楽しめた今回は、試合にフル出場。後半9分にはトライを決めて、チームの勝利に大貢献した。

「僕がラグビーを始めた時はプロリーグはなかったし、プロ選手もほぼいなかった。日本代表もなかなか勝てず、ラグビーのアスリートとしての価値があまり見出せない状況でした。ただ、ラグビーが持つ普遍的な価値として、社会性のある人間が多くて、社会に出るとすごくタフで良い人材になる文武両道がある。その頂点とも言えるザ・バーシティーマッチという場に立てたことは非常に光栄ですし、プロのキャリアを経ながらですが、しっかり勉強して、スポーツもして、それを社会で生かすということを少し実践できているのかなと思います」

ちなみに、現在ケンブリッジ大で学んでいることを、自ら周囲に話すことはあまりない。

「ただ学校に行っているだけなんで。どこで勉強するかより、そこを出て何をするかの方が大事。ケンブリッジ大に行っているのは何の自慢にもならなくて、何かを成し遂げてから出身校が分かるのは面白いかもしれないですけど」

ビジネススクールを卒業するのは2025年4月の予定。それまでに論文をまとめ、2年連続でのザ・バーシティーマッチ出場を目指した文武両道を実践する。

「僕のポジション(フランカー、NO.8)は味方か敵に必ず1人はオールブラックス(NZ代表)や他国の代表経験者がいて、ポジションを競る状況の中で良い競争を学べた。だから、引退後も世界レベルで良い競争を続けていけば、何か良いものが見えてくると思うんです。ただ、卒業後にはすぐ40歳になって、日本の定年まで20年しかなくなる。それまでに何かをやり遂げるといったら時間がない状況なので、少し焦っています。自分が身につけたスキルを生かせる場所で、自分の身を投じて何か結果を出したいと思います」

深い学びを得た土佐が、卒業後にどんな道を歩むのか、そして何を結果として残すのか、今から楽しみだ。

THE ANSWER編集部・佐藤 直子 / Naoko Sato

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