「銀河英雄伝説」大ヒットの田中芳樹さんは71歳 執筆47年で120~130冊…どのくらい稼いだの?【あの人は今】

田中芳樹さん(C)日刊ゲンダイ

【あの人は今こうしている】

田中芳樹さん(71歳)

この1月から、日本テレビ系深夜アニメ枠で放送が始まった「銀河英雄伝説 Die Neue These(ディ・ノイエ・テーゼ)」。原作の小説「銀河英雄伝説」第1巻が1982年に出版されて40年以上経つが、いまだ高い人気を維持している。原作者の田中さんは今、どうしているのか。

◇ ◇ ◇

田中さんに会ったのは、JR中野駅から徒歩5分の事務所。

「私の小説を原作とした漫画やアニメ、ゲームなどの製作については、30年来のスタッフら3人が製作や監修として関わり、私はお任せしています。内容はいずれも公表前に確認していますが」

田中さん、丁寧な物腰で、まずはこう言った。原作のアニメ化には難しさがある。先だって、漫画家・芦原妃名子さんが、自作「セクシー田中さん」のテレビドラマ化を巡り、芦原さんが命を落とす悲劇的な出来事があった。

「人さまのことを無責任には言えません。私は原作と、それを基にした漫画やアニメは別物だと思っています。ですから、アニメなども他人の作品を見るように気楽に見ています。イベントなどに呼ばれて出席し、ファンの会話を聞くと楽しんでいるようなので、スタッフに任せて間違いでなかったな、と思っています」

田中さん自身は、この2月に現代ものの短編集「走無常」、昨年は歴史小説「残照」を上梓。

「書きたいものを、自分のペースで書くしかありません。一方で、せっかく書くのだから、なるべく多くの人に読んでもらいたい。その両方をできる範囲で融合させ、半分以上の読者が満足してくれればいいかな、と思っています。いまだに綱渡りですよ。おかげさまで、47年で120~130冊。小説を書くことだけが取りえなので、いつ出版社に『もういい』と言われるかなあ、と思いながら、47年やってこられたのだから、『我ながら大したものだ』と。だんだんと地獄の門が近づいてきましたから、まあまあいい人生だったといって死ねたらいいなと思っています(笑)」

仕事部屋はこの事務所から徒歩10分。書籍や資料が山積みだそうだ。

「たっぷり9時間寝て、朝は8時に起き、朝食の後、仕事場に入り、新聞を読んで切り抜きをし、テレビのニュースを見てから書き始めます。頭の中の引き出しを開けたり閉めたりしながら、構想を練ります。いまも手書きです。日によって、書ける日と書けない日があるので、週単位か月単位で考えますね。週単位だと昔は50枚、今はその半分書けたら『偉い!』(笑)。それから、1日1度は外の空気を吸おうと、食事に出て、週2回は散歩をします。寝る前まで、読みかけの本やテレビのニュースを横に机に向かっています。一番好きなことを仕事にしたので、ほかに趣味はないんです」

執筆にエネルギーをかけすぎたか、体調を崩したこともある。

「99年に胸がムカムカして気分が悪くなり、病院に行ったら糖尿病と診断され、入院となりました。暴飲暴食しないので、体質だそうです。2010年には、就寝中に突然、目が覚め、吐き気と心臓のドーンとした動きがきて、理由もないのに不安や恐怖がせり上がり、パニック障害だと診断を受けました。どちらも薬で抑えています。目は大丈夫。まだ書け、ということなのか、と思っています」

仕事場に寝泊まりし、自宅マンションで暮らす夫人とは“近距離婚”だ。

「電話して『おい、生きてるか?』と連絡を取り合っています(笑)。かみさんは大学で外国人留学生に日本語を教える先生。本や資料を私より持っているので、私が押し出されてしまいました(笑)」

86年に結婚した夫人は、同じ学習院大学文学部の3学年下の後輩。子どもはいないそうだ。

さて、熊本で生まれ育った田中さんは、大学在学中、本格的に小説を書き始め、77年、“李家豊”名で書いた「緑の草原に…」が第3回幻影城新人賞を受賞してデビュー。

82年、現在の筆名で「銀河英雄伝説」を発表すると、壮大な世界観や個性的な登場人物などが読者を惹きつけ大ヒット。続編を書き続けると同時に、「アルスラーン戦記」「創竜伝」など人気作を次々と発表した。

「ファンからの手紙は、捨てられずに、いまも持っています。女性の読者がついてくれるとは思いませんでしたね。稼いだ? イギリス旅行には行きました。でも、食道楽でも着道楽でもなし、自宅も仕事場も、この事務所も賃貸で……そんなに使った覚えはないのに、案外貯まっていませんね(笑)」

ユーチューブチャンネル「田中芳樹・らいとすたっふ・銀河英雄伝説公式ポータルチャンネル」を運営。

(取材・文=中野裕子)

© 株式会社日刊現代