「二度と太いと言われたくない」小5で揶揄され、自分の体が嫌になった。「細くないと価値がない」という呪縛が解けるまで

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「うわ〜俺より脚太い」

「ほんとだ、すげぇ笑」

小学5年生のある日。廊下を歩いていると、すれ違いざまに男子児童2人が私の脚を「太い」とからかう声が、聞こえてしまった。

この出来事を境に、私は常に周囲の女子たちと自分の体型を比較するようになり、学校生活が一変した。

大好きだった体育の時間は、全員が同じ体操着を着ることで体型の違いが分かりやすいということに気づき、苦痛になった。

毎日楽しみだった給食の時間も、おかわりじゃんけんをしていた自分が急に恥ずかしくなり、少食のふりをするようになった。

話したこともない相手に「脚が太い」と言われたからなんだって言うんだーー。

気にしないようにしても、傷つきやすい私に、そんな強さはなかった。

自分の体型に自信がなくなった私は、この頃からダイエットを意識し始めるようになった。

「ハーフだからむっちり担当」自分の体が嫌だった

中学生になり、私は本格的にダイエットを始めた。

二度と「脚が太い」と言われたくなくて、走ることが苦手なのにも関わらず、痩せることが目的で陸上部に入部した。

ある日、更衣室でショックな出来事が起きた。

着替えをしていると、周りの子たちが私の隣にいた同級生に向けて、「⚪︎⚪︎マジでほそい〜」「いいな〜」と声をかけ始めた。

彼女は、嬉しそうに「そんなことないよ〜」と答えると、私の方を見てこう言った。

「セナの太ももは今日もしっかりしてるね〜さすが、ハーフだからむっちり担当!」

私は、頭が真っ白になった。

必死に平静を装い「そ、そう!でしょ〜」と言って、精一杯の作り笑いで太ももをパチンと叩いて見せた。

更衣室のみんなが笑った。

悪気があって、私をからかおうとしたわけではない...そう自分に言い聞かせて、なんとか1日をやり過ごした。

それでも、寝る前にベッドへ入ると、涙が止まらなかった。

この出来事をきっかけに、私のストイックな食事制限が始まった。

朝はヨーグルトとフルーツ、夜は野菜スープと玄米のみ。甘いものは絶対に禁止。

心配する母をよそに「お弁当は自分で用意する」と宣言し、学校でのランチも夜と同じメニューで突き通した。

1カ月で体重が5キロ減って成果を実感した私は、この食事制限を2カ月も続けた。

最終的に7キロの減量に成功したが、嬉しかったのは束の間。生理が止まり、朝起きるのがつらくなり、疲れやすくなった。

痩せるという目的は達成したけれど、心も身体も「幸せ」ではなかった。

怖くなった私は母に相談し、食事制限を中断した。

元の食生活にするとすぐにリバウンドし、私はあっというまに元の体型に戻った。

その後も、中学校では何度か同級生に体型をからかわれ、不快な気持ちになることがあった。

私は悔しくて、とにかく自分の体が嫌だった。

ある広告に抱いた違和感が、気づきをくれた

体型がコンプレックスだった高校時代(写真の一部を加工しています)

「細くないと価値がない」という考えに取り憑かれたように、高校生になってからもダイエットを続けた。

3年間で目標だった体重まで減量したものの、街中で自分より細い人を見かけると「自分なんてまだまだ太っている」と感じて、体型へのコンプレックスは消えなかった。

ある日、とあるダイエットサプリメントの広告が目にとまった。

「太っている」という理由で恋人に振られた女性が、サプリメントでスルッと痩せて恋人を取り戻すというストーリー。

体型がまるで相手に合わせて自由自在にカスタマイズできる“おもちゃ”のように描かれていると感じ、強い違和感を覚えた。

そもそも、体型は十人十色。生まれつき痩せやすい体質の人もいれば、太りやすい体質の人もいる。

自分の体質を無視して無理なダイエットを続ければ、心身ともに負担がかかって体調を壊しかねない。

次々と疑問が湧いてきて、私は自分のダイエットを振り返ってみることにした。

誰のために、何のためにダイエットするのか

なぜ、痩せたいのか。

思えば、ダイエットを始めてから自分の心の声に耳を傾けたことは1度もなかった。

小中学生の時にからかわれたことがきっかけで体型にコンプレックスを抱くようになり、ただ二度と他人から「太い」と思われたくない一心だった。

細くなれば幸せになれると信じて疑わずダイエットを続けてきたけれど、目標体重を達成しても私は幸せを感じなかった。

むしろ、「まだ足りない」と自分を追い込む一方だった。

何が間違っていたんだろう...悩む私に、母がかけてくれた言葉がある。

「自分を1番幸せにできるのは、どんな時も自分だよ」

私はハッとした。

あれ、私って誰のために、何のためにダイエットしてきたんだろう。

私のため...ではなかった。

自分にとっての美しさではなく、誰かの美の基準を満たすために痩せようとしていたことに気づいたのだ。

「私にとっての美しさ」が、幸せへの道

2024年の春

自分との対話を繰り返して見えたのは、私にとっての美しさ。それは、生まれ持った身体を受け入れて、大切にすること。

無理に好きになる必要はないし、コンプレックスに思う部分があったっていい。

ただ、それを変えようとするのではなく、一生を共に過ごす大切な身体として、丁寧に労わる選択をする人に美しさを感じると気づいたのだ。

具体的には、身体を気遣った健康的な食事をしたり、ボディケアで健やかな肌を保ったりと、自分の心と身体が喜ぶことを最優先に生活すること。

もちろん、自分の身体にあった健康的な方法で行うダイエットは、人生をより良い方向に導く場合もあると私は感じている。

一方で、誰のために、何のためにダイエットするのかを明確にしてから始めることが大切だと学んだ。

私の場合、幸せのために必要なのはダイエットではなく、ありのままの身体を受け入れて労わることだったように。

今、自分の体型にコンプレックスを感じてダイエットに励む人たちに、私は声を大にして伝えたい。

「自分を1番幸せにできるのは、どんな時も自分」だということを。

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