「長崎原爆青年乙女の会」が集会 「ノー・モア・ウォー」 被爆者初の国連演説を高校生が朗読 

「長崎原爆青年乙女の会」の記念碑前で、山口さんの国連演説全文を朗読する原田さん=長崎市

 被爆者運動の源流となった団体「長崎原爆青年乙女の会」が19日、活動の歩みを後世に伝える集会を長崎市内で開いた。創設者の故山口仙二さんが1982年「ノー・モア・ウォー」と訴えた被爆者初の国連演説の原稿を、高校生が読み上げた。40年以上前の演説が、今なお戦火が絶えず、核兵器が存在する世界に重い“宿題”を突き付ける。約100人の参加者は演説の意義や込められた思いを改めて考え、語り合った。

 平野町の丘にある同会の記念碑前。長崎南山高演劇部の原田晋之介さん(17)の声が響いた。「私の顔や手をよく見てください。よく見てください」「核兵器による死と苦しみを、たとえ一人たりとも許してはならないのであります」-。約8分間をかけて、被爆の実相や核兵器廃絶を訴えた演説全文を朗読した。
 同会は1956年、被爆者援護もなく病や貧困、差別に苦しんでいた10~20代の被爆者らを中心に結成。この一人だった山口さんが82年、米ニューヨークの国連本部で演説。被爆者が世界で活動する先駆けとなった。
 原田さんは映像や文献で山口さんの思いを学び、「スピーチには被爆者が核廃絶を訴え続ける思いの根底が込められている」と感じた。自身も曽祖父の被爆証言を継承。「これまでの被爆者の発信を『土台』に私たちが世界へ伝えたい」と決意を新たにした。
 碑の傍らに、山口さんが演説の際に壇上で掲げた自身のケロイド写真が置かれた。50年ほど前に撮影した同市の写真家、村里榮さん(90)によると、山口さんがケロイドの皮膚に生えた産毛をカミソリでそる場面。被爆者への激しい差別があった時代で「迷いながらシャッターを押した」と明かす。
 国連演説を通じて写真は世界に広まった。「米国は原爆の戦略的な『効果』を伝えたい一方で、非人間的な『実相』は知らせたくなかったはず。衝撃を与えたと思う」

山口さんが国連演説で掲げた写真を前に、撮影時の記憶をたどる村里さん

 山口さんらが建てた同会の碑には「戦争は国を亡ぼす」「核兵器は地球をなくす」と刻まれている。だが、今もウクライナや中東での戦争、核保有国による核の威嚇が続く。同会を継ぐ小峰秀孝会長(83)は「戦地の子どもやお年寄り、女性が悲惨な状況。核の威嚇は私たち被爆者には身の毛もよだつ思い」と悲しむ。
 山口さんが国連演説で実際に読み上げたとみられる直筆原稿は今年、同市の長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)で見つかった。原稿を掘り起こした長崎総合科学大の木永勝也客員研究員は、発見の経緯などを報告。「山口さんが原稿にどうしても入れたかったのが、被爆体験と『ノー・モア・ウォー』のフレーズ。今の世界情勢を考えると、きちんと受け止めるべき重い発言だ」と演説の意義を語った。

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