『異人たち』アンドリュー・ヘイが描く、山田太一の「敗者の想像力」

『異人たち』あらすじ

夜になると人の気配が遠のく、ロンドンのタワーマンションに一人暮らす脚本家アダムは、偶然同じマンションの謎めいた住人、ハリーの訪問で、ありふれた日常に変化が訪れる。ハリーとの関係が深まるにつれて、アダムは遠い子供の頃の世界に引き戻され、30年前に死別した両親が、そのままの姿で目の前に現れる。想像もしなかった再会に固く閉ざしていた心が解きほぐされていくのを感じるのだったが、その先には思いもしない世界が広がっていた…。

山田太一の英語版小説の映画化


英国と日本映画はどこか相性のいい部分があるのだろうか? 2023年には作家のカズオ・イシグロが黒澤明監督の名作『生きる』(52)の舞台を英国に置きかえて脚本を書いた、『生きる Living』(22)が話題を呼んだ。志村喬にかわって余命わずかの主人公を演じたビル・ナイの渋い演技も好評で、アカデミー主演男優賞にもノミネートされた。イシグロ自身もアカデミー脚色賞の候補となった。

さらに舞台の話ではあるが、是枝裕和監督の98年の映画『ワンダフルライフ』が、2021年に老舗のナショナル・シアターで「After Life」のタイトルで舞台化されている。舞台版の台本を書いたのは、いま注目の戯曲家ジャック・ソーン。多くの賞を受賞した舞台「ハリー・ポッターと呪いの子」を手がけ、昨年は同じくナショナル・シアターで大人気だったジョン・ギールグッドとリチャード・バートンの物語、「ザ・モーティブ・アンド・ザ・キュー」の台本も手がけた。

そして、今度は山田太一の小説「異人たちの夏」の舞台を英国に置きかえた『異人たち』(23)が作られた。この小説は大林宣彦監督の映画版も作られているが、『異人たち』はあくまでも小説にインスパイアされた映画化となっている。

日本人としては、今回の作品を、日本語で書かれた山田太一の原作や日本語の映画化作品とつい比較したくなるが、今回のアンドリュー・ヘイ監督の映画はあくまでも英語版が基になっている。英訳された段階で、日本語の小説とは、少しニュアンスが異なるものになっている、と考えた方がいいだろう。

『異人たち』(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

最初にこの小説の映画化に興味を持ったのは、『イングリッシュ・ペイシェント』(96)や『リプリー』(99)など文学小説の映画化が好きなアンソニー・ミンゲラ。彼の監督デビュー作『愛しい人が眠るまで』(91)は、思えば、亡くなった男性が幽霊となって恋人を見守る話だったので、『異人たちの夏』に通じる物語に思える。繊細な感性を好んだミンゲラによる映画化も見てみたかったが、彼は08年に他界。その後、二転三転した後、ヘイ監督のところに話が行ったようだ。

日本の小説が出たのは1987年で、筆者も人にすすめられて本のことを知り、おもしろく読んだ覚えがある。ただ、山田太一はテレビの脚本家だったので、テレビドラマではなく、小説として書いたことが少し意外にも思えた。英語版が出たのは2003年。英国版は文芸畑の名門出版社、フェイバー&フェイバーから出ていて、タイトルは“Stranger”。翻訳者はアメリカ人のウェイン・P・ラマーズで、彼は日本にも住んだことがあるという。

英語版の小説にそって、話を少し紹介すると、主人公はテレビの脚本家で40代後半という設定。妻とは離婚したばかりで、ふたりの間には大学生の息子がいる。家は妻に譲り、自分はマンションで暮らしている。ある夜、同じマンションに住む女性に、「一緒に飲みましょう」と声をかけられるが、その誘いを断る。それというのも、その直前に、かつてテレビ局で一緒に仕事をしていた男性に驚くような告白を受けたからだ。彼は主人公の元妻に恋心を抱き、まじめな交際を考えているという。

男が隣人の女性の誘いをすぐに断ったのも、女というものに対して、どこか不信感があったからだ。その夜、ドアの前に現れた女に妻のことを重ねて不快になり、彼女を拒絶してしまう。このあたりの(英語の)描写は強烈な印象を残す。

そして、ふらりと立ち寄った生まれ故郷の浅草で、死んだはずの両親と出会い、ひどく心がなぐさめられる。浅草の演芸場などの描写も英語で読むとなんとも奇妙。英国での映画化では、場所をロンドンに置きかえることで、こうした日本的な要素は切り捨てられる。しかも、離婚歴のある男性ではなく、ゲイの男性を主人公にすることで、主人公の立ち位置も原作とは違ったものになる。

アンドリュー・ヘイのパーソナルな視点


小説を読んだアンドリュー・ヘイ監督はどこにひきつけられたのだろう? おそらく、その本を支配する濃厚な孤独ではないだろうか? 離婚歴のある男性とゲイの男性では、孤独のあり方が異なるが、世の中からどこか引き離されているような疎外感は共通する部分があると思う。

小説の主人公の両親は彼が12歳の時に交通事故で他界する。そして、祖父の家や親せきのもとで暮らすことになる。そのせいで、彼は甘える、という感情を封印して生きてきたようだ。

英訳版ではこんな一文が目をひく――“The perpetual stress I had been under since the age of twelve had rendered me woefully inept at accepting the good will of others.”(私は12歳の時から他人の温かい思いを素直に受け入れられない人間になり、そのことに苦しみも感じてきた)

その結果、前妻とも「人間的な温かみがない関係(lack of warmth in our relationship)」になっていた、と彼はいう。

今回の映画の原題は“All of Us Strangers”になっている。「しょせん、誰もが他人」。そう考えると、自分以外の人物を素直に受け入れられない主人公の孤立感が浮かび上がるタイトルに思える。

英語版の小説から浮かび上がる孤独の濃度は、ゲイであるヘイ監督が過去の作品で描き出した人物たちの孤独や疎外感をも思わせる。

WEEKEND ウィークエンド』(11)は施設で育ったゲイの男性が主人公で、行きずりの関係で終わったはずの男性に断ち切れない思いを抱く主人公の姿が描かれた。この映画には『異人たち』を先取りしたような場面が登場する。主人公は成長した時、親がいなかったので、自分がゲイであることを告白できなかった。そこで相手の男性を父と考え、自分がゲイであることを伝える短い場面がある。

『異人たち』にも、亡くなったはずの両親と再会した主人公が、自身がゲイであることを伝える場面が登場する。心の奥にひっかかっているのに、ずうっと伝えることができなかった思いを言葉にする。どちらの映画でも、そんな場面が見る人の心に響く。

『異人たち』(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

親を子供の頃に失う、という設定は、ヘイ監督の『荒野にて』(17)にも登場する。父親と暮す少年が主人公で、父親は不倫相手の夫に殺されてしまう。孤児となった彼は遠くに住む叔母に会うため、愛する馬を連れて荒野をさまよう。少年の行き場のない孤独や疎外感がリアルに描かれ、馬に対する彼の思いにも胸をしめつけられる。

一方、結婚45年目の夫婦の心の機微を描いたのが『さざなみ』(15)。夫婦はそれまで円満に暮らしていたが、夫が若かった頃に愛した女性の遺体が雪山で発見される。氷の中にいる彼女は若いままの姿で、夫にはかつての思いがよみがえる。夫が結婚も考えていたというその女性は、彼の子供を身ごもったまま亡くなった。青年時代へと頭の中でタイムスリップする夫。そんな彼に妻は複雑な思いを抱き始める。夫婦は子供がいないまま、老いの時を迎えようとしている。

こうした作品を通じて見えるのは、少年期(あるいは青年期)の孤独や孤立感である。『荒野にて』の孤立した少年は、他人の中で生きのびるために葛藤する。一方、『ウィークエンド』や『さざなみ』の大人の主人公は、過去の忘れ物を取りに戻るような体験をする。

監督が過去作品で描いてきたこうしたテーマは、今回の映画に引き継がれている。原作での中年の放送作家は、子供の頃、自分のもとから消えてしまった両親に再会することで、何か忘れていたものを取り戻す。英語版の小説で、彼らとの最初の出会いを主人公はこう振り返る――“That remarkable couple had lifted me free of the dark solitude in which I had become so helplessly mired.”(あの時、現れた夫婦(=両親)は、私の心を覆っていたどうしようもない深い孤独から私を救い上げてくれた)

こうした文章を読むと、人間の内側にある少年期や青年期の孤独感を描くことが得意な監督が、この本にたどりついたことにも納得がいく。

山田太一と「敗者の想像力」


映画の原作は(日本語ではなく)英語版の小説がベースになっているとはいえ、やはり日本人としては山田太一作品との比較も気になる。

今回の映画化を見た時、すぐに思い出したのが、「敗者の想像力」という言葉である。実は2012年に「敗者たちの想像力 脚本家 山田太一」(長谷正人著、岩波書店)という本が出版されている。山田太一好きの友人の勧めで、この本のことを知ったが、今回の映画を見るまで、タイトルの意味を深く考えていなかった。しかし、映画を見た後、まっ先にこの本のタイトルが浮かんだ。敗者の想像力とは、まさに『異人たち』にぴったりの表現だからだ。

山田太一作品を分かりやすい言葉で分析したこの興味深い本の中で、山田が「岸辺のアルバム」(77)など、テレビの代表作で描いてきた人物は「敗者たち」であるが、物語を通じて「敗者」が「勝者」になるのではなく、「敗者」のまま輝く姿にたどりつく。そこに大きな意味がある、という論旨を長谷は展開している。

80年代に発表された「異人たちとの夏」に関しては、「日本社会はこのまま進化を遂げていくのだ、という前向きの信念は、おそらく、九十五年に神戸の大地震と地下鉄サリン事件が起きるまで続いていた。そんな勝者の気分が沸騰する時代のなかで、山田太一は何とかそれへの違和感を表現する可能性を(勝者の文化となった)テレビの世界の外側に探し求め、ここで小説というマイナーな『敗者の表現』を探り当てたように思う」と述べる。

そして、山田が描く「敗者の想像力」とは、「ラフカディオ・ハーンの言い方を借りれば、鶏が水を飲む度に上を向く姿を見て、ただ水を飲んでいると他人事のように見るのではなく、鶏が神に感謝しているだと感じることである。(彼の作品は)そのような敗者たちの想像力に満ちた心豊かな作品群だ。(中略)だから私たちは、その微かな声を自分の『敗者の想像力』を使って繊細に感じ取らなければならない」と説明する。

『異人たち』(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

2023年12月29日に“The Guardian”に載ったインタビューによれば、『異人たち』のヘイ監督は、80年代後半にゲイのティーンとして英国で暮らすことで、まさに「敗者」としての感情を抱えていた。

「生きることが容易な時代ではなかった。もし、自分がゲイとして生きるのなら、もう自分に未来がないように感じていた。もちろん、そうならないためには、ゲイであることをやめること。そんなことは無理だ。そこで私はそんな物語を描きたいと思った」と監督は言う。この映画は80年代のロンドンが舞台だが、英国で87年に行われた一般の調査によれば、75%の英国人が「ゲイであることは間違っている」と答えていたという。

そして、88年に「セクション28」という法律ができる。当時の保守党の首相だったマーガレット・サッチャーによって実施されることになったこの法律は、教育現場などで、同性愛に触れることを禁じる内容だった。2003年まで実施され、ヘイのような監督にとって、苦難の時代が続いていく。

そんな時代を通過した監督が、「敗者」を描くことが得意だった山田作品にたどり着いたのも納得できる。今回の映画の主人公は脚本家なので、ここで描かれる物語は、しばし主人公の想像力の産物にも見える。どこまでが現実で、どこまでが幻想なのか、境界線が見えない。主人公たちがドラッグを使う場面もあるので、さらにその境界線があやふやなものになる。

まさに「敗者の想像力」によって成り立つ映画となり、そういう意味では原作の設定とは異なるものの、山田太一作品としても成立しているのではないだろうか?

80年代のロンドンと当時の音楽&映画事情


筆者がロンドンを初めて訪問したのも80年代後半だった。記憶の中にある当時の街はどこかくすんでいた印象がある。ニコラス・ローグ、スティーヴン・フリアーズ、ピーター・グリーナウェイをはじめ、映画人たちにも取材をしたが、多くの人は当時のサッチャー政権への不満を口にしていた。映画人の製作の原動力の底に、アンチ・サッチャーの意識があったことは間違いない。

ラスト・オブ・イングランド』(87)などで知られるゲイの英国監督デレク・ジャーマンも、そうした当時の保守的な動きに不満を持つひとりで、80年代後半に来日した時は、かなり辛辣なコメントを連発していた。前述の「セクション28」への怒りは、特に91年の『エドワードII』などに顕著に出ていた。ゲイ差別撤廃の運動にも力をつくしたジャーマンは、結局94年に52歳でエイズのため亡くなる。

一方、80年代のポップ・ミュージックの世界では、いい意味でゲイ・パワーが炸裂していて、今回の映画にも登場するフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドペット・ショップ・ボーイズなどが大きな成功を収めていた。他にもブロンスキー・ビートカルチャー・クラブなど、ゲイ的なミュージシャンが注目された時代でもある。

『異人たち』(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

前述の“The Guardian”の取材で、ヘイ監督は「当時のポップ・ミュージックは自分にとってはすごく大切なものだった。当時、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの『パワー・オブ・ラブ』をベッドに座って口ずさんだ。その本当の意味は分かっていなかったと思うけれどね」と語っている。

また、劇中では当時は人気のあったファイン・ヤング・カニバルズの曲「ジョニー・カム・ホーム」なども流れる。「このグループのローランド・ギフトはゲイではないけれど、彼の歌声はすごく自分に響くものがあった」とヘイは言う。

ギフトは俳優としてスティーヴン・フリアーズの『サミー&ロージー それぞれの不倫』(87)にも出演していて、風のように歩く姿が印象的。こうした80年代のポップ・ミュージック界の新しいミュージシャンが、監督の心の慰めになっていたのだろう。

最高のキャスト~アンドリュー・スコットとポール・メスカル


今回の映画では俳優たちの演技も心に残る。主人公の脚本家を演じるのはアンドリュー・スコット。彼自身もゲイなので、監督も自然な感じで演出できたのではないだろうか。アマゾンのシリーズ「Freebag フリーバッグ」(16~19)では神父役、「SHERLOCK(シャーロック)」(17~)ではモリアーティ役を演じる。後者は、一見、地味に見えながら、実はとんでもない人物で、なかなかのクセモノぶり。」

映画では『パレードへようこそ』(14)の人物像に今回の映画に通じる部分を発見できる。実話を基にしたゲイの活動家たちを描いたヒューマン・コメディの良作で、スコット演じる活動家は自分でゲイであることを家族に知られ、家を出た後、親とはずうっと疎遠になっている。しかし、あることがきっかけで、久しぶりに家を訪ね、母親と再会する。その時の彼の無言の表情がすごく良くて、思わずホロリとさせられる。『異人たち』の両親との再会にも通じる場面だった。

昨年から今年にかけて、スコットの才能は大きく花開いている。『異人たち』ではゴールデン・グローブ賞やロンドン映画批評家協会賞の主演男優賞候補となり、舞台はひとり芝居の「ワーニャ」(チェーホフの「ワーニャ叔父さん」)でオリヴィエ賞の主演男優賞候補となる。また、配信作品は4月にネットフリックスで配信が始まったパトリシア・ハイスミス原作『リプリー』の主人公役が絶賛されている。いま、最も輝くアイルランド出身の男優のひとりとなった。自分の感情をじっと抑え、静かな闇の世界で生きる。そんな役を演じると本当に説得力がある。

同じアイルランド出身のポール・メスカルが彼の恋人役を演じるが、メスカルもまた、いま注目の男優のひとり。昨年、日本でも公開された『aftersun/アフターサン』(22)ではアカデミー主演男優賞候補となり、今回の新作では英国インディペンデント映画賞の助演男優賞も受賞。今後はリドリー・スコット監督の『グラディエーター2』も待機中。『aftersun/アフターサン』で演じた父親は、どこか儚い人物だったが、この役に通じるデリケートな感情を今回も巧みに演じ、忘れがたい人物像を作り上げている。

『異人たち』(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

実力派ふたりの共演で、その関係も共感できるものになっているが、今回のキャスティングに関して、ヘイ監督は「キャスティングはデート・エージェンシーのようなものだ。一緒にいることでお互いが輝く俳優たちをうまく選ばなくてはいけないね」と前述の“The Guardian”のインタビューで答えている。

ちなみに映画に登場するのは、子供の頃ヘイ自身が住んでいたクロイドンにある家で、「ここに足を踏み入れたら、湿疹が出てきた。そんなことは子供の時以来なかったことだ。体がかつてのトラウマに反応したと思う」と前述のインタビューで語る。

そういう意味でも自分自身を投影した作品になっているようだ。「パンデミックの時期の気持ちも投影されている」と監督は言うが、ロックダウンで家にこもる生活が続くことで、監督のよりパーソナルな部分に踏み込んだ映画が誕生した。

ゲイの主人公の内面を描いた作品ではあるが、人物像に関して彼はこう考えている――「主人公ふたりが孤独なのは、彼らがゲイだからではない。居心地の悪い世界にいて、そこになじめないせいで孤独を感じている」。ここで描かれるのは、生きづらさを感じる人々の内なる感情を映し出した普遍的な物語ではないだろうか。

父親を演じるジェイミー・ベルは『リトル・ダンサー』(00)の子役から、渋い役も演じきれる大人の男優となった。母親役のクレア・フォイは『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ』(21)、『ウーマン・トーキング 私たちの選択』(22)などで着実な歩みを続ける演技派。ふたりが演じる両親は主人公の“存在”を肯定的にとらえ、自分が分け与えた命をひき継ぐ息子に温かい言葉をかける。

孤立していた主人公は思わぬ再会を経て、自分のトラウマを見つめ直し、人を愛することの意味も知る。人物たちの心の機微がヘイ監督らしい繊細さと詩的な映像で描かれ、深い余韻を残す作品になっている。

文:大森さわこ

映画評論家、ジャーナリスト。著書に「ロスト・シネマ」(河出書房新社)他、訳書に「ウディ」(D・エヴァニアー著、キネマ旬報社)他。雑誌は「ミュージック・マガジン」、「キネマ旬報」等に寄稿。ウェブ連載を大幅に加筆し、新原稿も多く加えた取材本「ミニシアター再訪 都市と映画の物語 1981-2023」(アルテスパブリッシング)を24年5月に刊行。東京の老舗ミニシアターの40年間の歴史を追った600ページの大作。

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『異人たち』

大ヒット上映中

配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン

(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

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