ガザ:現地の医療者を襲うメンタルヘルスの問題 「患者を助ける責任と、自分の子どもを守る責任と──」

ガザ南部のナセル病院で負傷者の手術について話し合う、パレスチナ人のMSF医師ら=2023年11月23日 © MSF

パレスチナ・ガザ地区で紛争が激化して半年以上が経つ。この間、現地の医療従事者たちは、無数の人びとへの医療にあたってきた。一方、医療従事者たち自身もまた、この紛争を自ら生き延びるために懸命となってきた。そのなかで、彼らはどれだけ精神的に疲弊してきたか。

国境なき医師団(MSF)で心のケアを担うスタッフによれば、こうした極限状態がおよぼす影響は、今後何年にもわたって傷跡を残すという。

医療従事者たちの中には、治療活動を続けるうちに、恐怖、ストレス、不安を抱え込んでいく者も多い。彼らによれば、爆発で手足がつぶれたり、やけどを負ったりした人びとに対して、十分な鎮痛剤や麻酔もないまま、切断手術を行うこともあったという。10月に紛争が激化して数カ月にわたってガザが完全包囲下に置かれ、人命救助に必要な医薬品が足りなくなり、十分な治療が難しくなったともいう。

さらには、イスラエル軍によって、強制的に病院から退避させられたり、病院そのものが攻撃を受けることもある。自分の命を守るために患者を置き去りにせざるを得ない──通常ならば考えられない決断を下すことすら出てくるのだ。

罪悪感に苦しむ医療スタッフたち

こうした状況について、パレスチナから最近帰国したMSF精神科医オードリー・マクマホンに話を聞いた。彼によれば、ガザの医療スタッフたちは、精神的重圧の下で、気持ちを張り詰めたまま働いているという。

「砲撃が繰り返され、戦況が悪化するにつれて、医療スタッフたちは、患者のもとから離れざるを得なくなりました。彼らは、そのことに罪悪感を抱いているんです。彼らの中には、家族を持つ者もいる。家族を守ることを第一に考えると、病院に行って患者を治療することができなくなる。そして、そのように決断したことへの罪の意識を抱えていくんです」

現在、ガザには、パレスチナ人のMSFスタッフが約300人ほど存在する。ガザ南部に位置するラファのインドネシア仮設病院で働く医師ルバ・スレイマンも、その1人だ。彼女は家を追われ、夫と子ども2人と共に、ラファの避難所で暮らしている。

「ドローンの音が絶えず聞こえてきます。うるさくて眠れないこともあるくらいです。私には患者を助けるという道義的な責任があります。同時に、自分の子どもを守る責任も負っている。私たちはなんとか生き延びています。でも、現状は過酷です。私たちは疲れ切っている。心が砕けそうです」

ガザには約220万の人びとが生きている。ガザの医療従事者たちもその一部であり、ほかの人びとと同じ苦境に置かれているのだ。医師、看護師、救急隊員たちの中には、自宅を失ってテントで暮らす者もいる。友人や家族が殺害された者もいる。

MSFで活動する別のパレスチナ人医師は、こう語る。

「わが家を破壊されるというのは、単に家屋を破壊されるだけではありません。現在の自分自身を形作ってきたものを失うことでもあるのです。いつも使っていたコーヒーカップ。母の写真。お気に入りだった靴。そうした小さなもの全てを失うことなんです」

かつてガザ最大の病院であったシファ病院。破壊され機能していない=2024年4月 © MSF

医療従事者に向けたメンタルヘルス対応が必要だ

過酷な紛争に長期間さらされる中で、ガザで暮らすパレスチナの人びとは、精神をむしばまれつつある。それは医療従事者も例外ではない。

「紛争のことは考えないようにして、仕事に集中しています」と彼らは言う。しかし、一方で、患者たちの身に起きていることが、いつか自分自身や身内にも起こるのだろう、という恐怖を抱えているのだ。

この点について、ガザで心のケアの活動のマネジャーを務めるジゼラ・シルバ・ゴンサレスは、次のように述べる。 「医療従事者たちは、自分の家族が無事かどうかを常に不安に思いながら、その感情を抑え込んで仕事に打ち込んでいます。それゆえ、ただでさえストレスのかかる仕事なのに、そのストレスが一層高まっていく。患者が運ばれてくるたびに、医療従事者たちは心理面で、さらに揺さぶられていくのです」

ガザにいるMSFの心のケアスタッフたちによれば、医療関係者のあいだで、不安、不眠、抑うつ、考えたくなくても浮かんでくる侵入思考、感情回避、悪夢など、精神衛生上のリスクを強めていく症状が見られるという。

こうした現状の下、MSFは、医療スタッフを対象にしたメンタルヘルス対応を急いで整備している。しかし、そのためには、乗り越えるべき課題も多い。

ガザにおいて心のケアの活動マネジャーを務めるダビデ・ムサルドによれば、医療従事者たちに向けたメンタルヘルスの方法は、一般的な患者に向けたものとは異なるものにならざるを得ないという。彼らは自分の仕事が持つ影響力を強く意識しているからだ。

「医療スタッフを対象とした心のケアでは、方法を少し変えています。対象者個人がいかなることを経験してきたかに重点を強く置いたものです。ほかの専門家たちに向けて、自分の体験内容を表現してもらう。心理的介入の一種です。心の健康に関する講座も数多く開催しています。そこで、もっと専門的な相談や診療も受けられるようにしています」

稼働していたシファ病院で患者の治療を行うMSFのスタッフ=2023年10月19日  © Mohammad Masri

心の中にすら安全な場所がない

心のケアにせよ、通常の治療にせよ、必要不可欠なのは「安全」だ。患者のケアに携わる者すら安全でないような場所で、患者の回復を図る活動は不可能である。しかし、ガザにおいては、安全を確保している者などいない。安全が確保された場所もないのだ。ガザの保健当局によると、ガザで紛争が激化した10月7日以降、499人の医療従事者を含む3万4000人以上が死亡した。そのなかには5人のMSFスタッフもいる。

今年2月から3月にかけてガザで活動したMSF心理士のアンパロ・ビジャスミルは、次のように話す。 「現在、ガザに安全な場所はありません。これは砲撃のことだけを意味するのではありません。人びとの心の中にすら安全な場所がないのです。ガザの人びとは、常に警戒心を抱きながら暮らしています。いつ自分が死ぬかも分からないと考えていると、十分に眠ることもできない。眠ったら最後であり、急いでその場から逃げたり、家族を守ることができなくなるのかもしれないと」

現在、ガザ南部のラファでは、医療従事者も一般市民も合わせて、推定150万人が詰め込めれた状態で暮らしている。彼らは、イスラエルがいつ攻撃してくるのかという不安と苦悩のなかにいる。 この点について、先ほどのビジャスミルが最後にこう述べた。

「ある日、同僚の心理士が階段にいるのを見かけました。普段はとてもエネルギッシュで明るい人です。それが、床にへたり込んで膝に頭をもたせていたのです。彼は、今にもこぼれそうな涙をこらえながら、どれほど疲れ切っているかを私に伝えてくれました。そして、彼は、この紛争がいつ終わるのか、私にたずねました。でも、私には何ひとつ答えられませんでした」

MSFは、これ以上の死と破壊がガザの人びとにもたらされるのを防ぐため、即時かつ持続的な停戦を改めて求める。

© 特定非営利活動法人国境なき医師団日本