なぜ、ここまで時間がかかったのか「袴田事件」再審結審へ(1) 指摘される「再審制度の不備」【袴田事件再審】

5月22日、いわゆる「袴田事件」の再審=やり直し裁判は、検察側の求刑などが行われ、すべての審理を終える見通しです。「袴田事件」は、発生から58年。長年無罪を訴えながら、裁判がやり直されるまでに、なぜ、これほどまでに時間がかかったのか。指摘されるのは再審制度の不備です。

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<自民党 柴山昌彦衆院議員>
「わたくしたちは国際的な批判を受けることのない公正な再審法改正を1日も早く実現できるよう全力を尽くしていく決意を改めて表明をさせていただきまして」

5月16日、自民党の麻生太郎副総裁を最高顧問とする国会議員連盟の会合が開かれました。250人以上の国会議員が所属するこの議員連盟は、裁判のやり直しについて定めるルール=再審法の改正を目指しています。

「袴田事件」は再審法改正が叫ばれるようになるきっかけの1つとなった事件です。

1966年、当時30歳の袴田巖さんは、静岡県の旧清水市(現・静岡市清水区)で一家4人を殺害したとして逮捕され、1980年、死刑が確定しました。無実を訴え続けた袴田さんは再審を求めました。しかし、それは長年認められることはありませんでした。

「重い扉」が初めて動いたのは、事件から48年が経った2014年でした。静岡地裁は再審開始と袴田さんの釈放を決めたのです。袴田さんは、約半世紀ぶりに外の世界を歩けるようになりました。

<袴田巖さん>
「権力の頂点に立った。バイ菌はみんな死んじゃったという」

長い獄中生活は、袴田さんの精神をむしばんでいました。

開かれたかのように思われた再審の扉。しかし、検察側が「抗告」をしたため、再審を開くかどうかの議論は白紙に戻りました。

「抗告」とは裁判所の決定に対し、不服を申し立てること。抗告をすると地裁で行われていた議論は高裁に、高裁で行われていた議論は最高裁に移ることになります。

抗告を受けた東京高裁は、静岡地裁の再審開始決定を取り消しました。

抗告する権利は、弁護側と検察側に与えられていますが、日弁連は「検察側の抗告」は冤罪被害者の救済を長引かせることにつながると批判しています。

<日弁連再審法改正実現本部 鴨志田祐美弁護士>
「言い分があったら、再審開始に不服申立てなんかしなくても、そのままダイレクトに再審公判にいって、そこで有罪の主張をすればいいだけのことだから。やり直しの裁判に行きつかせない、そこで闘ってしまうというか、抵抗を示すということがまったく合理性がないのではないかと」

再び、扉が開いたのは2023年。東京高裁が再審開始を決定しました。検察は抗告を断念したため、袴田さんの再審開始が確定しました。

再審が開かれるまで、57年もの時間がかかった理由として「検察の抗告」に加え、指摘されるのが「証拠開示のハードルの高さ」です。

再審についての審理では、証拠の開示に法的な義務はなく、弁護側が請求しても、有罪を維持したい検察は応じず、年月ばかりが経過します。

袴田事件の場合、静岡地裁が検察に勧告したことで多くの証拠が開示され、再審開始の決定につながりました。そこで、議員連盟や日弁連は「検察の抗告禁止」や「証拠開示の制度化」などを掲げ、再審法の改正を目指しています。

冤罪被害者救済のための制度、再審。「袴田事件」を通じて、その在り方がいま、問われています。

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