「プレッシャーで左耳が聞こえなくなったり」パリ五輪内定のバドミントン奈良岡功大選手に迫る<前編>

21日にパリ五輪の代表内定選手が発表されたバドミントン。男子シングルスではまだオリンピックでメダルがありません。奈良岡選手は「自分が取れれば良いが、そんなに甘くない。まずは自分のベストを尽くしたい」と話しました。その奈良岡選手にオリンピックへの道のり、さらにオリンピックの戦い方を聞きました。

【奈良岡功大選手】
「浪岡で育って、浪岡でずっと練習しているので、浪岡・青森に少しでも恩返ししたいって思っていて、結果で返せれば一番良いかなと思っていて」

21日にパリオリンピックの代表内定が発表された青森市浪岡出身の奈良岡功大選手。先日、青森朝日放送の取材に答えました。

Q.オリンピックが間近ということで今どういう気持ちですか?

【奈良岡選手】
「まだオリンピックに出たことがないので、雰囲気や緊張感というのを全然分からない状態なので、楽しみだなと思っています」

オリンピック出場を勝ち取るまでにはかなりのプレッシャーがあったようです。

Q.ここにたどり着くまでのオリンピックのレースがあったじゃないですか?

【奈良岡選手】
「オリンピックレースは先手必勝って言われているくらい最初は大事なので」
「でもレースの最初は勝たないといけないって思っちゃって、力が入ってなかなか結果が出なかったんですけど」

Q.いつも冷静に表情を変えずに戦っているイメージがあるんですけど、気持ちの中でプレッシャーを感じたりっていうのはあるんですか?

【奈良岡選手】
「すごくプレッシャー感じますし、レースの最中は左耳が聞こえなくなったり、体調悪くなったりいろいろありました」

Q.オリンピックはいつから意識していましたか?

【奈良岡選手】
「あんまり記憶はないんですけど、小学3、4年の頃かなと思います」

小学2年生の奈良岡選手。この時すでに全国優勝を果たしていました。

【小学2年時の奈良岡選手】
「普段の練習を一生懸命やったおかげで日本一になれてうれしいです、これからも勝ち続けて“世界一”になりたいです」

【今の奈良岡選手】
「いや~、恥ずかしいですね。懐かしいなと思っていて、そういう時もあったかなって」

Q.あの時にもう明確に『世界』って言っていたじゃないですか?

【奈良岡選手】
「でもどうなんですかね、分かっていないと思いますね」
「その時は簡単にオリンピック出られると思っていたので、仕組みも知らないですし」

当時の奈良岡選手の様子を父・浩さんが語る、過去のインタビューを見てもらいました。

【父・浩さん】※過去のインタビューより
「この頃かな、『オリンピックで10回優勝する』とか言っていた。知らないんですよ、オリンピックを。それを否定もしていないです、頑張ろうって」

Q.というインタビューがありましたけれども、今聞いてどう思いました?

【奈良岡選手】
「そうですね、やっぱ分かっていないなって思いました、10回って40年なので、そんなの無理だよって思いました」

Q.今から10回ってなったら、40年後、60歳近いですけど?

【奈良岡選手】
「全然無理(笑)」

後編では、トップアスリート奈良岡選手の脳内に中井アナウンサーがさらに迫ります。

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