【特集|能登半島地震のその後】上越市に津波襲来を想定した避難訓練 高齢者避難の課題浮き彫りに【新潟】

津波の避難訓練

2024年元日に発生した、能登半島地震。
揺れから、約30分後・・・上越市では、川をさかのぼる津波が撮影されていました。海岸に押し寄せた津波は河口から、内陸へと浸入。その勢いは、衰えることがありません。川沿いに設置されたカメラには、津波が堤防を越え住宅地に流れ込む様子が映し出されていました。

被害を受けたのは、津波がさかのぼった関川の河口沿いにある上越市港町です。
■大角怜司アナウンサー
「津波はこの川を遡上してきました。私の身長178cmあるが、身長をはるかに超えるこの堤防を越えて、津波は住宅地を襲ったということです。」

けが人はいませんでしたが、1棟が床上浸水、14棟が床下浸水の被害を受けました。

港町に住む今井健次さん(79歳)。地震から約30分後、自宅の前で堤防を越える津波を目撃しました。
■今井健次さん
「あそこの車が止まっている後ろが堤防ですからね、すごかったですよ、車の屋根より上に見えた、波が。」
「そりゃどうなるか分からなかった、怖かったよ、初めての経験だからね。ここにいたら(津波が)来ちゃったもんだから、向こうに夢中で逃げた、近所の家の奥さんに『今井さんもう間に合わないよ、うちに入って』と言われ玄関に入ったら向こうから津波が来た、真っ黒く濁った水がね。」

近所の家に避難して無事でしたが、周辺は30cmほど水につかりました。今井さんは肺気腫を患い、酸素を送る機械を手放せません。
■今井健次さん
「これがないと生きていけないからね、寝るときも必要だから。まして焦るとなお苦しい、健康な人であれば駆け足で逃げればいいけれど、気が焦るだけで苦しいですからね。」

今回の津波で浮き彫りになったのは、高齢者や介護が必要な人たちの避難です。地震後に町内会が行ったアンケートでは、約2割の住民が「避難しなかった」と答えました。上越市は原則徒歩での避難を推奨していますが、5月19日の訓練では初めて車での避難を取り入れ、その効果を検証することにしました。
■港町防災対策委員会 泉秀夫委員長
「車でないと逃げられない人がいるのも事実なので、その辺をどうのように検討していくべきなのか、その材料を今回は何らかの形で得たい。」

訓練は震度6強の地震が発生し、大津波警報が発表された想定です。港町の自主防災組織が企画し、約150人が参加しました。事前に指定されている避難場所に、どれくらいの時間で到着できるか確認することが狙いです。車いすを利用する人や、走ることが難しい人もそれぞれのペースで避難します。
今井さんは、家族が運転する車で避難することにしました。上越市は、新潟沖を震源とする地震で津波が発生した場合、港町には揺れから15分ほどで第一波が到達すると想定しています。今回、訓練に参加した住民の3割が避難場所に到着するまで10分以上かかりました。

■高齢者
「14分。」
「サイレンなってからすぐでてきたんだけど。」
「なかなか難しいね、間に合わんね。」
「5月21日は10分かかった。」
「足の悪い人が一緒に歩いてきたからゆっくり。」
■若い父親
「車で避難したので5分くらいで来られた。」
「逃げるルートが分かっていないといけないと思って参加した。」
■今井さんと奥さん
「ちょっと休ませてあげないと…(ふーふー)がんばろう、がんばれ、がんばれ。」

酸素を吸いながら移動する今井さん。歩くのも時間がかかります。それでも、車で自宅を出てから8分ほどで避難場所に到着しました。
■今井健次さん
「いや、やっとだよ、疲れたよ、もしも本当に起きたらどうなんのかな。(Q.防災無線聞こえた?)全然聞こえない、この訓練もそう、外でなってるよと言われて外に出た。」

時間との戦いになる「津波避難」。避難場所に向かうことが全てではありません。
■高齢者施設の職員
「18人が入居していて、少ない職員で往復して避難すると2倍3倍の時間がかかりますし。」
「施設が3階の屋上に垂直避難というのが現実的かと管理者と話している。」
「こんなところまで来られないですよ、右往左往して。」

訓練を通じて、様々な課題が見えてきました。
■女性
「本当に犠牲者を出さないのであれば、ご高齢の方たちをどうやって避難させるかとか、若い方たちがいない状況でどうやって声を掛け合うのかというのを、今一度みんなで考えた方がいいのかなと。」
■港町防災対策委員会 泉秀夫委員長
「早く高い所に逃げる、早く遠い所ではない、早く高い所に逃げるが大原則。」

港町の自主防災組織は、車での避難についても検証し、今後の活動に生かすとしています。

© 株式会社新潟テレビ21