【夏場所】大の里 67年ぶり快挙へ邁進 向上心を植え付けた幼少期からの〝過酷トレーニング〟

豪ノ山(左)を押し倒しで下し、勝ち越しを決めた大の里

大相撲夏場所10日目(21日、東京・両国国技館)、新小結大の里(23=二所ノ関)が幕内豪ノ山(26=武隈)を押し倒して8勝目(2敗)。首位をキープし、終盤戦への弾みをつけた。新小結の優勝となれば67年ぶりという快挙だが、〝躍進〟を続ける大の里には、幼少期からの厳しい鍛錬が支えとなっている。当時の恩師たちが取材に応じ、意外なエピソードを明かした。

取組後に大の里は「15日間しっかり戦い抜くことしか考えていない。明日から5日間集中して頑張ります」と表情を引き締めた。同じく2敗で並んでいた大関琴桜(佐渡ヶ嶽)が幕内高安(田子ノ浦)に痛恨の黒星。優勝争いでは幕内湘南乃海(高田川)、幕内宝富士(伊勢ヶ浜)と並んでいる。

石川出身の大の里は小学5、6年時に地元の津幡町少年相撲教室でコーチを務めていた長井恒輝さん(31)から指導を受けた。恩師は「よく聞かれるけど、小学生だったので『横綱になるんじゃないか』とか『大相撲で活躍するんじゃないかとか』はあまり思わなかった。県大会も優勝しているけど、毎回ではなかった。もちろん体は大きかったし、それなりに強かったけど、そもそも石川県のレベルが高いので。そんなに大きなクラブではなくて、当時(の在籍)は10人とかで今でも15人。指導者は、仕事のかたわらボランティアでやっているようなクラブから(関取が)生まれた」と明かした。

ただ、人数は少なくても指導は厳しかった。当時の大の里について、長井さんは「本当に子供らしい子だった。本人も『相撲は好きで練習が嫌いだった』と言っていて、泣きながら練習をしていた。自分は当時18歳で割と年齢が近いほうだったけど、当時の監督は厳しくやっていた。練習の最後に、ぶつかり稽古で指導者に当たって押していたけど、その辺はきつかったのかなと思う。自分も当時123キロぐらい体重があったので」と、なんとも過酷なトレーニングを振り返る。

新三役の場所で、堂々と優勝争いに絡んでいる。長井さんは「今の活躍を毎場所続けて上に行ってほしいけど、ケガをしたら終わり。『ケガのない体づくりをしている』と本人から聞いている。(番付が)上がってもそういう努力を怠らず、強い体で長く力士生命を続けられるような関取でいてほしい」と今後に期待を寄せた。

小学校卒業後は、新潟・糸魚川市の能生中と海洋高相撲部に相撲留学し、田海哲也総監督の指導を受けた。田海総監督も「だいたいの子は『練習がきついのかな』『友達はどうかな』とか条件で選ぶ。だけど、大の里は『ここなら強くなれる』という理由で選んだ。相撲が好きとか強くなりたいというのが小さい時から植えついていたし、そういうのも素質だと思った」。厳しい環境に自ら身を投じ、相撲道をまい進してきた。

新小結の優勝は1957年5月場所の安念山のみ。歴史的Vに向けて、終盤戦でも実力を発揮できるか。

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